沖縄覚書その1:民俗学は奥深い編。
沖縄旅行で体感した民俗学について、お話します。
沖縄旅行 私の好きな言葉です。
私は内地の、特に雪国出身の人間ですから、沖縄の気候風土、もちろん歴史や文化といったもの全て目新しく感じられます。
飯も内地で食べるものとはまた違う特徴があり、旨い。
泡盛も最初は飲まず嫌いしていたのですが、いまでは原液をグビグビいっちゃうくらいには好き。
あぁ^~たまらねぇぜ。
しかし、そんなリゾート気分だけで終わってしまうのはもったいない。
そんな発想に至ってしまうのが私、そしてこのブログです。ということで、私が沖縄旅行中に気になった3つの点について、恭しくも解釈を試みてみようと思います。
沖縄旅行の楽しさを知識とロマンが支える…
ある意味 最強だ
ひとつめ、琉球石灰岩について。
石灰岩は、主に珊瑚など生物の遺骸が海底に堆積してできた堆積岩。
その中でも琉球石灰岩は、数十万年前の第四紀更新世に発達した珊瑚礁がその後の地殻変動・海水準変動などによって隆起沈降を繰り返し、現在のような石灰岩台地を創り出しました。
水がよく浸透するため河川ができにくい一方、層の境界で湧水し地下河川、ひいては鍾乳洞がしばし発達します。
というかんじで、沖縄に訪れる前までは、沖縄というのは石灰岩でできた珊瑚の大地であると思っていました。
しかし実際に歩いてみると、沖縄の地質の4割くらいは琉球石灰岩かもだけど他は違うよな、という意識がなんとなく感じられました。
実際に地質図を確認するとその通りで、たとえば、本島北部の国頭郡本部町あたりに注目してみると、明らかに古臭い地質帯がありますね!
濃い青色はペルム紀の付加体である石灰岩なので、琉球石灰岩とはベツモノ。
ぐちゃぐちゃなメランジュ感、内地でいうところの三波川変成帯でしょうかね…?
断言する自信がねンだわ
そんな沖縄の成り立ちについて理解を深めるのに最適な施設が、沖縄県立博物館・美術館。
地学、歴史、さらには美術まで、わかり易くも丁寧な展示内容で紹介されています。
琉球石灰岩について知りたい!その内容を要約すると、以下の通り。
南西諸島は1000万年以降に島弧化、沖縄本島では大陸の河川堆積物でできた島尻層群が形成されるが、最終間氷期を経て東シナ海にトラフができたことで土砂の供給が止まり、現生珊瑚礁の発達が始まる。
その島尻層群および先新第三紀層を不整合に被覆、段丘堆積物または沖積層・現世珊瑚礁堆積物におおわれる第四紀更新世の地層が、特徴的な琉球石灰岩の景色をうみ出した。
はえ~ すっごい…(小並感)
それにより、石灰岩の性質にも微妙な特徴が現れてきます。
前述のように琉球石灰岩はせいぜい数十万年前に形成された若い岩石であるため、柔らかく加工も容易です。
その一方、内地にあるほとんどの石灰岩は古生代石炭紀~ペルム紀(3億5000万年前~2億5000万年前頃)に形成されたものであり、圧倒的に古い地層となります。
先の本部町近辺の石灰岩も、例外的にこの時代のものですね!
まァ、鍾乳洞の中って暗いですし、よくよく観察したところで容易に判別できるものではないのですが…。
…より多くの石灰岩と鍾乳洞を訪問し、数をこなしていきましょう!
ふたつめ、御嶽(ウタキ)について。
御嶽、端的に言えば沖縄の民間信仰の聖地。
祭祀機能の分権などの事情でアシャギや殿(トゥン)とも呼ばれる。
複雑な歴史的経緯があり、いまでは内地式の神社と同化していたり、観光地化してしまったりとさまざま。
その全てを語ろうとすると本が何冊も書けてしまうので、今回は一般的な民俗学知識として、御嶽の本来の性格や由来について考えてみましょう。
さて、御嶽の前提知識として必要なのは、沖縄本島を根拠地とする琉球王国の歴史です。
琉球王権の政治体制は、ありがちな政教一致体制。
民間の共同体宗教そのものを王権の宗教的支配イデオロギーとして転化させており、グスク時代の共同体祭司である按司(アジ)がいて、その代表者として政治・祭祀の両面において権威を高めていったのが琉球王。
太陽神が創造神アマミキヨを遣わして島々を創り出したという琉球の開闢神話があって、国王は太陽の子「てだこ」であり太陽の末裔であるとして、諸按司から宗教的権威を奪い中央集権を進めていったというわけですね。
ほかにも興味深い点として、琉球王権では男性による政治的権威が政治実務を担った一方、聞得大君を最高位とする神女組織が存在し宗教的権威として分権していたという特異性があるのですが…
話がとっ散らかるので、その件について語るのもまたの機会だ!
次に、御嶽で祀られている対象は何なのか。
いわゆる「日本神話」をはじめとする内地の民間信仰と同じく、沖縄でも八百万の存在に神々を見出すアニミズム的な性格はあるものの、地域に一様な神話・信仰体系が存在したわけではありません。
(その類似性・異時性について探求することが民俗学の醍醐味のひとつでもありますが。)
敢えてここで挙げるとすれば、祖先崇拝的な性格を説明できるでしょうか。
按司の根拠地であるグスクについて、人の居住にとっては狭すぎること、多くが給水設備を欠くことなどから、古代の風葬所であり、且つ祖先崇拝の場であったという説があります、
これと同様に、御嶽の由来として有力なのは、古代の村落があった、あるいは村落に住む人びとの葬所ではないかということ。
人は死ぬと遠い死者の世界へ行くと同時に一方では村落の近くにとどまり子孫を守護する、その祖先霊崇拝の具体的場所が御嶽の由来ではないか、という考え方ですね。
また、特に沖縄の場合は島嶼部であることから、古くから交易等での繋がりはあったとはいえ、琉球王権の浸透と祭祀の統一は遅れているという印象を覚えます。
そもそも、琉球中山が「琉球王国」たる勢力に至ったのは第二尚氏王統第三代・尚真王(在位1477年~1526年)の時代からであるし、たとえば、私が今回訪れた石垣島には八重山諸島を支配する別勢力があり、琉球王国は西暦1500年「オヤケアカハチの乱」ではじめて征服しその支配下としました。
実際に、八重山諸島では御嶽を「ウタキ」ではなく「オン」と呼称しているのを確認したことで、同じ「沖縄文化」であるとは一概には言えないなと、実感。
琉球王権は司祭者ノロを通じ村落共同体の精神的支配を行ったとされますが、こうした民俗宗教が早い段階でイデオロギー化された影響で、宗教意識の面では原始的段階で停滞してしまった、と評価できるのではないでしょうか。
ただし、当日の地元の方への聞き込みだけでは、本島の御嶽との信仰上の違いは見えてきませんでしたね…。
数日間の旅行ではフィールドワークに限界を感じる!
それでは寺はないの?仏教は?という疑問も生じますよねぇ!
…こちらについては、本や論文では私的な解答を得ているものの、フィールドワークでの理解が及んでいないため、次に沖縄を訪れる際の課題としておきます。
楽しみですね!
最後に、石敢當について。
沖縄のまちを歩いていると、しばし足元にこんなものを目にします。
長方形の石材に「石敢當」。
色やサイズ、はたまた石以外の素材もあるなど、バリエーションが豊富なのも面白いです。
門前や丁字路、集落の入口などに多いような気もしますが、都市開発に伴い無関係な位置に移動された場合もありそうですね。
実地調査の際に真っ先に予想したのは、内地でいうところのお地蔵さまや馬頭観音に類似する役割を持つものであり、魔除け、共同体の境目、あるいはアジールとしての聖俗境界を示すもの。
というわけで、やむちん通りにて石敢當を販売しているいくつかのお店で聞き込みをし、その実態を把握しようと試みました。
以下、その聞き込みと、参考文献から得た知識も加えた石敢當の概要です。
・魔除けの役割、丁字路や三叉路に置く
・8世紀に中国の福建省に起こる、「石敢當」は中国の勇士の名か
・道教由来であり泰山府君が描かれている場合もある
・15世紀半ばに沖縄に伝播、内地にも伝来し鹿児島県には特に多く分布
・八重山諸島では「アシハンシ」と呼ぶ
概ね予想通りでしたね!満足でございます。
先の御嶽よりはよっぽど直感的にも理解しやすい民間信仰…
うれしいですね!
しかし、八重山での呼称などについては現地で調査できたはずなのに、収集できず。
時間がね…、残念無念。
さらに、Wikipediaには東南アジアにも分布しているらしいとのことで、先週詳細を書きましたシンガポール出張の際に、延々と血眼で探していました。しかし、発見には至らず。
仲良くなった現地人や出稼ぎのマレーシア人に聞き込みをしてみても、「確実なものは見たことはないがあるかもしれない」程度の確実性しかない回答しか得られない。
シンガポールでは博物館には行けてないし、気になるお墓や石碑スポットも結局時間がなくて訪問できずなので、そこに行けば何か手がかりがあったのかもしれないけど…
一応仕事だし…コンプライアンスをね!
まァ、また沖縄とシンガポールに行くための動機が増えたということで…(泣く)
おわりに
以上、沖縄旅行で気になった地味なことについて、改めて深堀りをしてみました。
個人的な意見ですが、旅行は視界に入るものについて抱ける感想が多ければ多いほど、全力で、より一層楽しむことができるのだと思います。
しかし、旅行当日すなわち実践パートでは、実際問題といて嬉しさあり不安もあり、いろいろなことが気になりすぎて細かいところまでにはなかなか目が届かない。
その他にも方言についてや食事、泡盛についてなど、実際に行ってみてから気になることはどんどん増えました。
その視野を広めるためにも必要なのは、こうした事前事後の知識習得なのではないでしょうか。
改めてそう思える、いい経験でありました。
参考文献
小玉正任著『民俗信仰 日本の石敢當』慶友社、2004年.
知名定寛『沖縄宗教史の研究』榕樹書林、1994年.
日本地質学会地質基準委員会編著『地質学調査の基本』共立出版、2003年.
日本地質学会地質基準委員会編著『地質基準』共立出版、2001年.
柳田国男『海南小記』大岡山書店、1925年.
石敢當を知っていますか 同志社女子大学.
土木工事設計要領 第1編 共通編・河川編 (R03) 内閣府沖縄総合事務局.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?