『Chime』 感想
ホラー映画です。
普段、『呪怨』とか『リング』とかの、いわゆるホラー映画を観ることは全くない私なのですが、というか夜の暗い部屋とかだけで怖いレベルの人間なので、わざわざ映画で怖いものを見たいという欲求はほとんどないと思っていました。
ただ、ネットでの評判が良かったこともありますが、何よりこの映画のキービジュアルに惹かれて、自分でも不思議ですが、ちょっと気になるなというのが、だんだん「これは絶対映画館で観なければ」という思いに変わっていきました。
作品の成り立ち
この映画の成り立ちは少し変わっていて、Roadsteadという DVT(Digital Video Trading)プラットフォームが制作し、2024年4月12日にデジタル販売された作品です。
言うなれば映画のNFT化みたいなことなんでしょうか。
昨今は映画は劇場公開後、かなり早い段階でネット配信されることが多いですが、サブスクリプションで何でも観られるというのではなく、映像データもDVDと同様にそれ単体で購入して所有することに回帰しようとする運動のように見受けられます。
上のサイトでレンタルしてWeb上で観ることもできるので、気になった方はぜひ試聴してみてください。ちなみに45分の本編を超える長さのメイキングも同じようにレンタルして観ることができます。
という背景もあってデジタル販売から開始した作品ではありますが、2024年8月2日にStranger、K2、キネマ旬報シアターのミニシアター3館から上映を開始し、その後全国に上映を拡大していって、大盛況の結果10月5日現在でもStrangerではいまだに上映中というロングラン上映となっています。
日常に潜む恐怖
さて、私が『Chime』を観たのは9月26日金曜日のアップリンク吉祥寺だったのですが、その日も劇場は満員状態でした。
特報のような短い予告をいくつか目にした程度で、男性がゆっくりとこちらを振り返る映像や、冒頭が銀色のダクトをなぞるような映像だというぐらいの情報しかない状態での鑑賞です。
始まるとすぐその銀色のダクトが映されるんですが、その時点ですでに怖さがあって、なぜダクトの映像が怖いのか全くわからないんですが、やはり映像の色調や微妙な暗さ、音の印象からくる不気味かつ不穏な雰囲気がそうさせるんでしょうか。
とにかく冒頭からこれは普通の映画ではない(ホラー映画なのだから当たり前ですが)ということが伝わってきてドキドキしながらも少し興奮した状態で、これから何が起こるのかを見守っていました。
この銀色のダクトは映画の主な舞台である料理教室のあるビルの一室につながっているんですが、そこでは主人公の男性が女性たちに料理を教えています。
と思ったら生徒は女性だけではなく、少し離れたところに一人だけ、大学生くらいの男の子がいて、その様子をじっと見ています。
この男の子が少し離れたところで佇んでいるという光景がまた不気味で、異質な存在に見えるんですが、この子は、主人公の周りに生徒が集まって説明を聞いている時も先生のお手本が全く見えないようなところで立っているんです。
案の定、この田代という男の子は説明通りに作業をしません。
豚肉に塩をすり込むのも、玉ねぎを荒微塵にするのも、何かに取り憑かれたように一心不乱にやるので全部がやりすぎになります。
料理の一工程のはずなのに、それぞれの作業をする田代が何をするかわからないのですごく怖い。しかも、その子がやけに先の尖った包丁を持っているんです。
もうそんなの、嫌な予感しかしないじゃないですか。
それなのに主人公の松岡はそんな田代の奇行の全てを受け流して何事もなく料理教室を続けるんですが、その松岡の全く意に介さない態度もまた怖い。
この松岡という男は、主人公ではありますが全く何を考えているかわからない人です。まあこういうおじさんいるっちゃいるんですけど、こうやってホラー映画の主人公にされるとめちゃめちゃ不気味です。
そうこうするうちに田代は頭の中でずっとチャイムが鳴っているという訳のわからないことを言い出します。もういよいよやばいです。何をしでかすかわかったものじゃない。
ここで、普段恐怖とは結びつかないような料理教室という空間に田代のような人間が一人いるだけで、そこはもう危険で恐ろしい場所になり変わるのだということに観客ははたと気づきます。だってここにはたくさんの数の包丁が置かれていて、そのどれもがよく切れるように手入れしてあるのですから。
主人公も怖い
その日の教室が終わった後、松岡がステンレスの作業台を念入りに拭いているシーンがまた良いんですが、カメラがゆっくりと松岡の背中に近づいてきて、はっと何かを感じた松岡がゆっくりとこちらを振り返る。
予告でもお馴染みのこのシーンですね。この松岡演じる吉岡睦雄さんの表情がめちゃくちゃ良くて、しかもこの時には特に何も起こらないんです。いや、何かが起こっていた可能性もありますが少なくとも映像には表現されず、すぐ次のシーンに行ってしまいます。この得体の知れない恐怖の描き方。素晴らしかったです。
また、その後の事務員二人に呼び止められて「田代さんってちょっと変ですよね」と言われた時の松岡の受け答えがすごい。「確かに田代さんはちょっとやりすぎちゃうところがあるよね。でも、それ以外は普通じゃないですかね」とか事もなげに言うんです。
明かに何かがおかしいのに、気づいているはずなのに、松岡は絶対にそちらを向かない。本当に何を考えているのかわからない。
この松岡のキャラクター造形は観客をとても不安な気持ちにさせます。
その後のビルから出て帰ろうとする松岡の描写もすごく怖い。
と言っても、ただビルから出て他の出口の方をちょっとみるだけの描写なんですが、松岡がビルから出て歩き出したと思ったらピタッと止まって、帰る方向からこちらに向き直ってカメラの方に歩いてくるんですが、そのこちらに来て出口を確認する松岡の横顔が異様に近いんです。
もう今まで他の映像作品で見たことがないぐらいの横顔のクローズアップ。しかも相手から近づいてくるクローズアップなので、相手がこちらの世界に侵食してくるような異様な印象を受けます。そして結局出口には何もいないし何も起こらない。
本当におかしいのは誰なのか
ある日の料理教室で、松岡は焼く前のパン生地にクープを入れる工程の説明をしています。
クープというのはパン生地の表面に入れる切れ込みのことで、松岡は慣れた手つきで綺麗にクープを入れていきます。柔らかいパン生地にスッスッと切れ込みを入れていく包丁に目がいきます。
この頃にはもう誰にも包丁を握って欲しくないぐらいの包丁への恐怖があります。
さて、説明が終わって生徒たちが実践をする時間です。
田代はというと、遠くの方でぼーっと立っていたかと思うとおもむろに作業台へ向かい、包丁を逆手に持ってパン生地に勢いよく突き立てていきます。ダン、ダン、と響き渡る音。もうやだ。絶対何かある。誰かこいつを止めてくれ。
この恐ろしい光景にも松岡は顔色一つ変えず、冷静にアドバイスしていきます。他の生徒に接するのと同じように。なんでだよ。
すると、田代は包丁を持ったまま不敵な笑みをこちらに向け、自分の脳みそが半分機械にされていることがわかったと言うのです。その装置がいつも聞こえているチャイムに反応して、自分を操っているのだと。
この超絶ヤバイ発言にさえも松岡は「そうですか、なるほど」とか言って去って行こうとするんですが、田代は食い下がってその装置を取り出して見せると言い出します。
こちらに向かってくる田代に後退りする松岡。さすがにこれには松岡も恐怖を感じているのでしょうか。
田代はおもむろに包丁を手にしたかと思うと、自分の首筋にスッと、その刃先を差し入れ、そのまま倒れて動かなくなりました。
騒然とする教室で、叫び声を上げながら腰を抜かす松岡。しかし次の瞬間、恐怖していたはずの松岡の顔からは表情が消えています。
すぐに警察が来て教室の外で事務員に聞き込みをしています。
一方松岡は、教室の中で田村が自らを包丁で刺して亡くなった場所を見つめていたかと思うと、急に背伸びをして(このちょっと斜めに伸びる姿もすごく不気味です)あくびをするんです。そして電車が通る外を眺める松岡。
こんなことありますか。目の前で人がショッキングに死んだばかりなのに、意味がわからない。もうむしろこの人が怖い。
現実に侵食してくる恐怖
警察は松岡のところにも聞き込みにきます。
「料理をしているうちに負の感情に囚われることはあるんでしょうか」という少々変わった質問をするんですが、松岡は「逆ですね。料理をしているうちに自ずと心は穏やかになっていきます。だからこんな物騒なものが並んでいても、安心して料理をすることができるんです」みたいなことを言うんです。
もうこんなことを言われたら、逆説的に料理をすること自体がすごく怖く思えてきませんか。
そう思うと、日々の生活の中でも、家の中に刃物が当たり前に存在していて当たり前に使っていることに対して、うっすらとした恐怖を感じたことはなくはない。この包丁は使いようによっては凶器になり得るのだということを意識したことがない人はいないのではないでしょうか。
非現実的な映画の世界を描いていると見せかけて、急に私たちの現実に直結するような描写を入れてくるのが、この映画の怖いところです。
現実と直結していると感じる表現で言うと、他にも松岡の料理教室のある場所が、これは東京に暮らしたことがある人でないと実感できないことではありますが、明らかに中野の線路沿いにあるのも、意図されたことではないでしょうか。中野のあの特徴的な壁画が描かれた場所はどうしても目につきます。
映画のロケーションがふらっと行こうと思えば行ける場所にあるということは、普段なら喜ばしいことであるはずなのに、逆にこちらの世界と地続きにさせないでくれと思うことがあるとは思いませんでした。
主人公の家族も怖い
松岡が自宅に帰ると、田畑智子さん演じる妻が迎えてくれます。
松岡は妻に、今日起こった話をするんですが、松岡はこの日の一番の事件である田代のことは話題にも挙げずに、その前にしたレストランの面接の話をするんです。
なんか将来が見えてきたなーとか言って。えっ、田代の一件覚えてますか?この人。
それに対して奥さんは返事をせずに松岡の脱いだ服を持ってどこかへ行ってしまいます。このディスコミニケーションの感じにも不気味さがあります。
その後、息子と三人で食卓を囲むんですが、この描写が超絶に怖いです。
食卓には夏でもないのにそうめんが普通に出てきているのもなんか怖いし、松岡が息子に部活の話を振ると、息子は急に笑い出します。かと思うと奥さんは急に席を立って、キッチンにある大量の缶が入った袋三つを外に持ち出して、ゴミ捨て用のカゴに入れていくんですが、この音がやたら大音量で響き渡ります。
夕ご飯を食べ始めたばかりの時にやることでは全くないし、その捨て方が雑なのも何故かすごく怖い。しかもその間も食卓では何事もなく松岡と息子がそうめんを啜っている。外で響いているガラガラという音。
こんな恐怖表現があるのかと感動すら覚える演出です。
田畑智子さんもいつもの田畑智子さんじゃありません。
光と音が怖い
その後の、何故か一対一でレッスンを受けている女性の描写がこの映画で一番怖いところだと思うんですが、まず松岡が丸鶏の足を包丁で鮮やかに捌いていくシーンから入ります。これがまたよく切れる包丁で、もうそれだけですごく怖いです。
捌いた後に鶏の足を持って、関節をグキッと折るのも怖い。
捌いているのは鶏なのに、殺人を想起させるのは何故なんでしょう。
そしてこの生徒の女性の行動も怖いです。
この人は何故か鶏を捌くことに拒否反応があるらしく、「先生がやれと言うならやりますけど…」とか言っていたかと思うと、手にしていた包丁を急にダンッと置いて「やっぱり苦手です」と言ってやりたがりません。
この時の急に大きな音を立てて包丁を叩きつける動作がすごく怖い。その後も丸鶏を嫌々持ち上げて何か気持ち悪いみたいなことを色々言った後にパッと手を離してまな板に落とす大きな音。また掴んで雑に投げる音。
その後もこの女性は丸鶏を触るのが嫌な理由を延々と話し続け、松岡はその女性の方に歩いてきたかと思うと、女性の背後に回った松岡をカメラが急に横から捉えます。松岡の手には包丁。そしてそれが女性の背中に振り下ろされる。
女性は奇声を上げながら逃げ惑い、その後をスタスタと追いながら無表情で何度も包丁を突き刺す松岡。この時窓の外で電車が通って外の光を遮り、チカチカと教室全体を明滅させます。
この電車が通って光が明滅するという描写はこれまでにも繰り返されていたもので、田代が何かおかしなことを言っているとき、田代が自分に包丁を突き立てている時などにもこの描写がありました。この繰り返しによって、この電車と光の明滅が何か良くない出来事と連動しているように感じられ、より恐怖を増幅させるのです。
45分間の断続的な恐怖
ここまでで映画のちょうど中盤に当たるのですが、私はもうこの時点で、この映画は私が耐えられるものではないのではと思うほど恐怖していて、もしこれがずっと続くなら劇場を出るしかないのでは、でも最後まで観たいと葛藤していました。
結果的に包丁で人を刺す描写はもう出てこないのでなんとか耐えることができたのですが、この映画の45分という短さに助けられたと感じた人は多いのではないでしょうか。それ以上長い時間、この手を替え品を替え続く恐怖を浴び続ければ、今度は自分自身がおかしくなってしまうのではと思うほど、この映画の恐怖表現は巧みな上に断続的で息つく暇もありませんでした。
ただ、この映画を観終わった時に感じたのは何故か充実感です。
これほどのバリエーションや細かな演出で恐怖を表現し、しかも物語の筋さえあって無いような映画が成立しているという事実に感動すら覚えます。
この映画の監督は黒沢清という1990年代からホラー映画を世に生み出しているホラー映画界の巨匠と呼ばれる方ですが、本当に巨匠が故に作れる映画というか、熟練の技が随所に施された、もうなんと言うか一匹の鶏からほんの少ししか採れない貴重な部位なんですみたいな映画だったと思います。
それに加えて主演の吉岡睦雄さんの演技の不気味さが光っていて、しかも一見普通の中年男性に見えて、ずっと追っていくとすごく不気味みたいな表現が素晴らしかったですし、あの誰もいない椅子のシーンの声にならない叫びも圧巻でした。
ということで、今回は黒沢清監督の『Chime』について書いてみましたが、45分の映画にも関わらず今までで一番長い感想になってしまいました。
もう映画の表現が多彩すぎて、その全てを語りたくなってしまう映画だったなと思います。こうして締めの文章を書いていますが、無音の恐怖とか、作品全体を通した色彩の演出とか、まだまだ語りたいことはたくさんあるぐらいです。
『Chime』は個人的に今年観た中で一番好きな映画だと思いますし、この先も更新されない可能性は大いにあると思っています。黒沢清監督作品は過去のものもチェックしていきたいと思います。