花言葉は、「希望」 『ペナルティループ』感想
待ちに待った若葉竜也さんの主演作『ペナルティループ』凱旋再上映を観るためにKino cinema新宿に行ってきました。
私が行ったのは、凱旋再上映初日の9/20(金)と上映後舞台挨拶のあった9/22(日)の2回です。ちなみにこの映画は今回が初見です。
凱旋再上映って何の凱旋なのかというと、カナダのモントリオールで毎年開催されているファンタジア国際映画祭で音楽賞、編集賞、観客賞の3冠を受賞されたことを受けての再上映でした。
1度目に観た印象
さて、映画の内容についてですが、めちゃくちゃ面白かったです。
と、2回この映画を観た後の私は自信を持って言えるのですが、初めて観た感想としては「死ぬ前に打ち込めることが見つかって、あの男は幸せだったんだろうか」みたいなふわっとしたものでした。
というかもう、1回観ただけではストーリーについて行くのに精一杯で、細部にまで気を配っている暇がないんですよこれが。
荒木監督の物腰柔らかな印象とはうって変わって、映画はかなりスパルタです。
何がスパルタなのかと言うと、やはり説明が一切無いところでしょうか。
まず、主人公が6月6日に目覚めて工場らしき場所に行き、溝口を殺すという流れにおいて、なぜ工場に行くのか、なぜ溝口が恋人を殺した犯人であることを岩森が知っているのかなど、何も語られないしその描写もない。
でもなぜかループするごとにその流れが当たり前になっていって、あろうことか岩森と溝口に奇妙な関係性が生まれてくる。
自分が心から愛していた恋人を殺した男と仲良く談笑するなんてことは本当はあり得ないはずなのに、観る人はその展開をも受け入れてしまう。何なら岩森と一緒に溝口が死んでしまうのは寂しいとさえ思ってしまう。
この展開に説得力を持たせることができたのは、脚本や演出の力もさることながら、やはり主演の若葉竜也さんと伊勢谷友介さんの演技力に他ならないのではないでしょうか。月並みな言葉ですが、お二人でなければ成立しなかった映画だと感じます。
2度目の鑑賞で考えたこと
この映画には植物が印象的に描かれています。岩森の部屋の観葉植物たち、工場で育てられているたくさんの水耕栽培の野菜、溝口が死ぬ前に描いた大きな木。
対象を自然にまで広げると、岩森が作っていた建築模型の上を歩くてんとう虫や、現実世界に戻ってきた岩森が車から見た鳥もそれに含まれるでしょうか。
これらは岩森が閉じ込められることになる究極に人工的な世界、つまりバーチャルリアリティを際立たせるモチーフとして描かれていると思います。
この映画が自然と人工物を対比させることで浮かび上がらせようとしたもの。その一つには人間の営みのある側面としての滑稽さや、時に本末転倒でさえある行き過ぎた分業への痛烈な皮肉が含まれていると思います。
繰り返される伝言ゲーム
物語が進むと、ループする世界は岩森が自ら契約した殺人事件の被害者遺族救済制度としての「報復執行を(VRの世界で)遺族自らの手で何度も行うことができる」プログラムによるものであることがわかる。
このプログラムの象徴として登場するのがジン・デヨン演じる岩森を監視する人物だが、このVR世界の管理者と岩森との関係性は一方的で、事務的な会話はなされても対話が生まれることはない。
岩森は何度目かのループで溝口を殺し続けることに嫌気がさし、ペナルティループを終わらせたいと管理者に相談するが、契約によりそれはできないと告げられる。
ここに私たちは現代社会への痛烈な皮肉を見出すことができる。
岩森が契約を行った施設に「人権週間」のポスターがあったことから、この「救済制度」はおそらく政府などの公的機関が始めた取り組みの一環であることが読み取れる。それが政府から自治体、自治体からサービスを運営する海外の業者の手へと渡っていくことで、この「救済制度」が当初の意図から離れて、人権とは程遠い恐怖のループへと形を変えていったのではないだろうか。
しかしこの伝言ゲームのような構図は、現代を生きる私たちにとっては馴染みのあるもののように思える。
少しでもコストを下げるために実務を請負業者に依頼し、その業者がまた別の業者に依頼する。ついには海外の業者に実務を依頼し、その代わりに生じるコミュニケーションコストや認識齟齬は度外視され、ビジネスは断片的な作業に変わる。
狂った世界の中で生まれる希望
そんな伝言ゲームによって目的を失った世界の中で、岩森と溝口にはある種の仲間意識のようなものが生まれる。
それはループから逃げられないことに対する諦めのようでもあり、その世界への順応のようでもある。
しかしこの地獄のようなループの中にいて、彼らはお互いの存在に希望のようなものを見たのではないだろうか。
岩森にとっては、愛する人を殺した人間を赦すことで永遠に続く憎しみのループから抜け出すこと。
溝口にとっては、約束された死という現実を前にしながらも心を通わせることのできる人がいるという実感。
生の世界への帰還
岩森は恋人の幻に「行ってきます」と告げてプラグを引き抜き、現実世界に戻る。
忙しく立ち回る業者たちが帰った後に残されたのは、誰も世話をせずに枯れてしまった植物たち。
無惨にも枯れてしまった植物を見て想起されるのは時間の経過だけではない。
岩森は死んでもまた生き返るペナルティループの世界から脱し、生の世界にいるということだ。
髭も伸びて浦島太郎のような状態だった岩森は、荷物をまとめて旅に出ようとする。
車の外には鳥が飛んでいる。その様子に気を取られた岩森の車は路肩の土手にぶつかって、岩森は全身血まみれになる。
ペナルティループの中で溝口を血まみれにさせていた岩森が、現実世界で自分が血まみれになっているのがなんだか可笑しい。
通行人に心配され、岩森が返す「大丈夫です」という言葉で物語は終わる。
映画を観終わった後に残るのは、生きているという確かな手触りだ。