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【第177回 開催レポート】「砂の女」 安部公房

開催日:2020年11月28日
課題図書:「砂の女」 安部公房

安部公房は、いつかは読みたいと思っていた。作品そのものへの興味もさることながら、それ以上に安部公房という人物に興味をもっていたからだ。もう少し長生きしていれば確実にノーベル文学賞をとっていただろうとか、学生時代に数学の天才と言われていたとか、徴兵を免れるために東大医学部に入ったとか、クルマ好きだったとか、女優山口果林と愛人関係にあったとか・・・。クルマ好き以外は普通の人間ではそうそうできないことばかり。有り体に言えば天才肌である。さてどの作品を選ぼうか。芥川賞を受賞し出世作となった「壁」は第15回の課題図書になっている。となれば「箱男」か「砂の女」か。評価の高い「箱男」にも惹かれたが、ここはやはり代表作である「砂の女」だろうと。映画化されているだけでなく、20カ国語以上に翻訳された作品であることも興味をひいた理由だ。

教師をしている主人公が休暇を取って趣味の昆虫採集のため砂丘へと出かける。日が暮れ最終バスを逃し途方に暮れていたところ、村の住民から勧められ民家に泊まることにした。縄ばしごを使い深い砂の穴の底に下りていくと、そこには女がいた。毎日押し寄せる大量の砂を集めて運び出さなければ集落全体が崩れてしまうため、女は食料や水などの生活必需品と引き換えに1人で砂を掻きながら暮らしていた。翌朝民家を出ようとすると縄ばしごが外されていて、男は自分が監禁状態になったことを知る。村はより大量の砂掻きができるよう男手を求めていたのだ。そうして女と同居しながらの砂掻き生活が始まる。途中脱走を試みるも失敗に終わり、男は やがて女と肉体関係をもつ。女が妊娠し、子宮外妊娠のため病院へと運ばれていったが、気付くと縄ばしごは残されていた。しかし男は村を去ることをせず、村の一員として生きていくことを選んだのだった。

プロットはシンプルであり、「面白くて読みやすかったのにびっくり (Y)」だし、「多くのメタファーを含みながらも巧みな文章でシンプルに表現した素晴らしき作品。さすがノーベル賞候補 (H)」だと思う。注目すべきは、残された縄ばしごを目の当たりにしつつ、なぜ男が村に留まることを選んだのかという点だろう。

「男は実は自由を求めてなかったのでは? むしろ”あの女”に自尊心を傷つけられていたなか、従順な砂の女は男の自尊心を満たしてくれた。溜水装置の発明も男の自尊心を刺激した。つまり自由より自尊心がポイントだったのでは? (S)」。たしかに。元いた場所に帰っても毎日同じ生活の繰り返しが待っているという意味は砂掻きも同じこと。であるなら自尊心=必要とされてる感をより実感できる砂の家に留まることを選んだのは不思議なことではないとも思える。とはいえ「でもやっぱり閉じ込められるのは嫌だな (S)」という意見が僕には真っ当に思えたし、みんなそうだよね?とも思っていたのだが、意外なことに違う意見も。「そのときによる (H)」 たとえば砂の女が絶世の美女だったら戻らないってことでしょうか?(笑) そんななか強い説得力を感じたのが靖子さんの意見。「私も教員だったので主人公の気持ちはよくわかる。これから希望を持って社会に漕ぎ出していく生徒たちに対し、自分はいつまでたっても同じままという嫉妬。加えて職員室ほど保守的な職場はない。個性を出しちゃいけない閉塞感の塊です。そんな職場に戻るぐらいなら私は砂の家に戻ります。必要とされる感覚が必要だから。」

なるほど、必要とされる感覚というものは、僕が思っていた以上に生きる上で大切なものなのかも知れない。「主人公はアイデンティティを探してた (T)」。「必要とされたいという気持ちがなければ楽しみもない (Y)」。

男は助けを呼ぶ手紙を外部に届けるためカラスを捕まえる罠を作り「希望」と名付けた。後にそれが溜水装置の発明へとつながった。ここで暗示されているのは、逃げ出すことの希望から砂の家で暮らすことへと、男の「希望」が変わっていったことだろう。その変化どどう受け止めるか。安部公房はそれを読み手に委ねた。おそらく正解はない。だが人の営みとは常に「正解はひとつじゃない」が正解なのだ。「コロナ禍にいる私たちも砂の中にいるのかも。そういう意味で、どんな時代にもどんな人にも当てはまる普遍的な作品だと思う。だからこそ世界文学にもなったし、話せば話すほどいろいろなことが見えてくる、読書会にとても向いている作品だと思いました (M)」。

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