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【第241回 開催レポート】「川端康成・三島由紀夫往復書簡」

開催日:2024年11月2日
課題図書:「川端康成・三島由紀夫往復書簡」

拝啓

秋の時雨に寒さ際立つ晩秋、とは云い乍らも時に汗ばむ陽気に戸惑う今日この頃、皆さまに於かれましては、如何お過ごしでしょうか?

小生の所属したる赤メガネの会も十余年の星霜を経て、241回を数えるに至りました。

会のメンバアの皆様、とりわけオウガナイザアであるY様のご尽力によるものと、幾許かの驚きと共に感謝の念に耐へません。

僭越にも今回の選書を仰せつかるにあたって、小生が愚考を巡らせた末に至ったのは文豪の対談でありました。問答無用の大文豪である川端康成様と三島由紀夫こと平岡公威様の往復書簡、すなわち手紙のやりとりではありますが、若干の時間差を伴うダイアロオグといえましょう。

此度の課題図書は、新潮社より出版された「川端康成・三島由紀夫 往復書簡」でございます。

26歳といくぶん年齢に懸隔のある二人の手紙のやりとりは、昭和20年3月8日の川端康成による「花ざかりの森」献本に対する礼状に始まり、昭和45年7月6日三島由紀夫が川端の健康を慮る手紙で終わります。もはや歴史の一頁となった感のある三島の自裁に先立つこと5ヶ月弱前となります。

26歳差の二人の25年に渡る遣り取りは、奇しくも三島が昭和20年時の川端の年齢に達して終わりを迎えます。

また川端は一高時代に三島の父である平岡梓氏が帝大在籍中に、東大正門で邂逅したことがあるそうです。

川端は三島の葬儀委員長を務め、その後2年を待たずして自らも命を絶ちます。

かなり深い宿縁を感じさせるエピソオドではないでしょうか?

 徒に長くするのは本意ではありませんので、7人のメンバアの感想を抄出いたします。

二人とも好きな作家であるというC氏は後々他人に読まれる可能性を意識していたのでは?という仮説をなげかけました。真相は定かではないですが、手紙とは本来当人同士にしかわからないことで、それを読めることで、得るものが多かったそうです。特にノオベル賞の件(くだり)で当時の文壇の様子がわかって興味深いと述べておられます。

 一方古文を読んでいるような印象を受けたとIさん。文豪にあるまじき「ヘンテコリン」や「トンチンカン」など軽妙な単語にも目が留まったそうです。

大学で教壇に立っておられたM先生はこの遣り取りを面白いと思うには二人に対する興味が必須条件であるとの考えに基づき、「美徳のよろめき」を併せて読まれたそうです。

テイストの似ている「雪国」より『入れる』と仰っていました。

また三島の文章の特徴として「概念定義を好んでしている」と分析されています。

 Y君は二人のスタンスの変遷を面白く読んだと語り、最初学生であった三島が、すでに文壇でも名を馳せていた川端にふっかけているような印象を受けたそうです。のちに二人が海外の読書人からも評価されていくプロセスもよくわかったとのことでした。

 舞台俳優であるM君は、やはり舞台演出家、戯曲作家としての三島に興味を持ちました。唐十郎や寺山修司を照らして読み進めたそうですが、三島については知らないことが多く、新潮社はもう少し注釈をつけるべきだと、編集に対するクレエムを語っていて愉快でした。

 座長のY氏は後年体調を崩していた川端の文章から、彼の生きづらさを感じたそうです。また三島の周囲にいたドナルド・キーンや美輪明宏の逸話などから、登場人物の多彩さに感動したとも語っていました。

最後に。この往復書簡では、多くの書物や人物が登場し時に賞賛され、時に批判されています。

文豪二人の個人的な嗜好を目の当たりにできるのが、この本の大きな特徴の一つといえるでしょう。

言及されていた多くの本のうち以下のものは、当会で過去に課題図書に選ばれたものです。

「楢山節考」「金閣寺」「エロ事師たち」「みずうみ」「斜陽」
他に選出された課題図書の作家も多く登場します。
大岡昇平、佐藤春夫、石原慎太郎、ラフカデオ・ハアン、永井荷風、遠藤周作、谷崎潤一郎等々。

冒頭にも触れましたが、当会の歴史と活動にも思いを馳せることができました。

ダラダラと駄文を捏ねましたことをお詫びいたします。これから益々寒くなりますので体調など崩すことなく、健やかにお過ごしになるようお祈りしております。

敬具
ST

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