ごごしま音楽プール2023の記録 (1)
おいしい料理のような。
「ごごしま音楽プール2023」を無事に終えてほぼ2ヶ月が過ぎた。なんだかもうだいぶ昔のことのような気がする。6月4日。晴天の日曜日。おいしい料理のような1日だった。丹精込めて作って、夢中で食べてくれる人たちの笑顔があって、あっという間にお皿が空になって。おかわりある? ごめんもう売り切れ、また作るね!っていうあの感じ。このnoteでは、その料理ができる手前のところから書き始めたい。約3年半のコロナの自粛期間を経て、ごごしま音楽プールが再開に至るまでのこと、当日の様子、これからのこと、僕自身がいま思っていることについて記しておく。
今年で終わりにしよう。
時間を遡って、3月中旬。「ごごしま音楽プール」立ち上げからの主要メンバー4人に連絡を取ってまず話したのは「今年でこのフェスを終わりにしようと思う」ということだった。理由は大きく2つ。1つめは、コロナで中止を余儀なくされていた3年のあいだに会場となるプールにだいぶ傷みが出てきていること。2つめは、自分を含めた4人の立ち上げメンバーの仕事や生活にそれぞれの変化があり、以前のように、何かあればさっと話し合い、知恵を出し合うということが難しくなっていたこと。3年半ぶりの現地開催を前に、コアになるべきメンバーたちが日々に忙殺され色々なことが噛み合わぬまま時間が過ぎていく。「場所」と「人」に関わる懸念が解決されぬまま、まあ何とかなるだろうと実施されるイベントの先に待つのは事故だ。このまま進んだらまずいのではないかと言う予感が日ごとに強くなる。すでに日程の告知はされていたが、今回の開催は中止、そのまま来年以降は沈黙し、フェードアウトすることも考えた。悩んだ末に出した結論は「今年で最後にしたいことを主要メンバーに伝え、お客さんにも伝えた上で、丁寧かつ安全に最後のフェスをやり切って、有終の美を飾る」ということだった。
驚くほど凹まれる。
愛媛に帰省し、今年で最後にしたい旨とその理由を立ち上げメンバーたちに話した。そもそも、その相談をするためにリモートで集まることすらも難しい状況だったので、個別に訪ねて対面で思っていることを伝えた。みんな驚いた。そして僕が想像していたよりも残念そうな顔をした。それを見た時、自分は間違ったことをしているのではないかと思った。気まずい空気を振り払うように「今年が最後」と対外的に告知することについても了解を取った。終わりに向かってアクセルを踏んでいる。8年前、地元で音楽フェスをやりたいと言い出した自分が終わらせる。それでいいと思った。そこにブレーキをかけたのが、フェス立ち上げ当初から会場としてもお世話になっている「しまのテーブルごごしま」のオーナー藤内さんだった。
藤内さんと初めてお会いしたのは2015年の秋。地元の愛媛、松山近郊のできれば海が近い場所で、手作りの音楽フェスをやりたいと場所探しを始めていた頃、ふとしたきっかけで興居島を訪れて以来、8年のお付き合いになる。廃校になっていた旧・泊小学校に手を入れ、カフェを作り、まさに「しまのテーブル」という名前にふさわしい場所をコツコツと作ってきた人。そして、びっくりするほど美味しいハンバーグとカレーを食べさせてくれる人。
「今年でフェスを終わりにしようと思うんです」と話をすると、藤内さんが目の前でがっくりと肩を落とした。肩がはずれたんじゃないかと思うくらいに。びっくりした。こんなに凹んでいる藤内さんを見たことがなかった。メンバーへの話も終え、気持ちの整理をつけて報告に来たつもりでいた僕は、藤内さんからいつもの穏やかな口調で「そうですか・・・赤松さんが考えて決めたのであれば、仕方がないことですね」と返事がくるものと勝手に想像していたのだった。
(つづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?