ごごしま音楽プール2023の記録(6)
しあわせでしたか?
大きな拍手の中、高野寛さんのライブが終わった。太陽が山の向こう側に隠れる。日陰がプールの水色を少し濃くした。あとは出演者全員でのセッション1曲を残すのみだ。高野さんに呼び入れてもらって、奇妙さんとわれわれアンチモンも再びステージへと向かう。笑顔で迎えてくれるお客さんたち。
ギターのセッティングをしている間、高野さんから「赤松さん、何かしゃべって」と言われた僕は、何も話す言葉を用意していなかった。用意することができなかったのだ。その理由はここに至るまでのnote連載に書いたとおりである。とにかく今日一日を丁寧にやり終えて、そこで目にするものを見て、自分が何を考えるのか、僕自身が知りたかった。
マイクを握りなおして前を向く。客席みんなの顔を見て、しばらく黙ってしまった。言葉が出ないというわけではない。何を話していいか分からないというのとも違う。むしろ話したいことはたくさんあった。でもそれを伝えるための言葉を探してしまうことで、膨大な時間がかかることもわかっていた。「話す」という行為には向いていない感情だったのだと思う。(だから今、こうして書いている。)そのかわり、目の前にいる人たちに一つだけ質問しようと思った。そしてそれを声に出した。
「みなさん、今日一日、しあわせでしたか?」
客席から拍手が起きた。「ありがとー!」という声がする。体の内側からぎゅるんと、よくわからない力のようなものが沸き上がってきた。もうフェスも終わりが近いというのに、何かが始まるような、始まってしまったような感覚があった。
「来年も、やりますか?」
再び拍手が起きる。「来年もやりますか?」と客席に向けての質問のような形をとってはいたけれど、質問ではなかった。それは自分がここ数ヶ月ずっと考えていたことに対して出した答えだった。また来年も「ごごしま音楽プール」をやってみようと思った。それは藤内さんの言葉を借りれば、準備を始めた3月に立ち上げメンバーに伝えた「今年でフェスを終わりにしたい」という自分の考えを「思いとどまる」ということだった。もしもそこに、この素晴らしく完璧な一日がくれた気持ちの高揚が含まれていたとしても、それはそれで構わない。きっと「思いとどまる」ために、この一日があったのだ。あまり威勢のいいことは言えない。いまの気持ちをそのまま話した。「もしできることなら、来年またここで皆さんと集まれたらと思います」。
「島のプールであいましょう」
楽器のセッティングができた合図を受けて、最後のセッション。8年前に初めて「ごごしま音楽プール」を立ち上げた時、お客さんと一緒に歌いたくて書き下ろした「しまのプールであいましょう」をみんなで演奏した。本当はリピートする予定のサビの歌詞、最後の2行を即興で変更して歌った。
♪
もう少しだけ
ここにいたいな
あと少しだけ
こうしてたいな
一緒に歌う 君が見えるよ
ミカンの花の匂いがしてる
明日のことなど
分からないと人は言う
それでもそれだから
僕らは約束をしよう
ごごしまであいましょう
島のプールであいましょう
空と風と海
あなたとわたし音楽
ごごしまであいましょう
島のプールであいましょう
きっとまた来年
その時までお元気で
最後のセッションが終わり、みんなで記念撮影。その後、プールから退場するお客さんたちを階段出口のところで見送った。本当に、本当に、たくさんの人たちが言葉をかけてくれた。「しあわせな一日やったよ!」と言ってくれる人たちも。とりわけ嬉しかったのは、島民の人たちから「また来年もやって!」と言ってもらえたことだった。この言葉をいちばん待っていたかもしれない。たぶんそれは僕だけじゃなく、他の立ち上げメンバーも同じだろうと思う。
新しい約束。
帰りのフェリーの出港時刻が迫っているのを知り、あわてて港の桟橋までダッシュ。松山市内へと帰路に着くお客さんたち、翌日の都合で早くに島を離れる奇妙礼太郎さんらを見送り。桟橋で大きく手を振る。ここで一つアクシデントが。今年は初めて来場数が400人を超えたこともありフェリーに乗り切れない人が出てしまったのだ。文句も言わず校庭で話しながら次便を待ってくれるみなさんの優しさが身に沁みた。約1時間後、2便めのお客さんを桟橋まで見送る。また大きく手を振った。こうして「ごごしま音楽プール2023」は無事に終了。
打ち上げは「しまのテーブルごごしま」藤内さんのご厚意で、そのまま会場の一画を使わせてもらいバーベキュー。乾杯。ようやくみんなひと息ついて、飲んで、食べて、話す。一緒のテーブルにいた高野 寛さんが「ご褒美みたいな一日だったね」。本当にそうだと思った。2016年にフェスを立ち上げてから、雨に翻弄されたり、アーティストのブッキングや動員に苦労したり、これまでの苦楽を知ってくれている高野さんだからこその言葉だった。その後、立ち上げメンバー矢野の司会でスタッフや出店者のみなさんをあらためて紹介しながら、みんなが順番にスピーチをした。これがとてもよかった。例年を上回る多くの人たちが今日を支えてくれていたことに、あらためて驚きと、感謝と。それぞれの話にしんみりと聞き入ったり。お酒の入った立ち上げメンバーの中川さんが「もうですね!私の人生!この男に迷惑かけられっぱなしです!」と僕を指さしてみんなが大笑いしたり。司会の矢野は自分のスピーチの番でボロボロ泣いてしまったり。「しまのテーブルごごしま」の藤内さんもご夫婦でみんなの前に立ってスピーチしてくれた。「今年でフェスを終わりにしようと思う」と話しにいったあの日、もし藤内さんが「思いとどまれないですか?」と言ってくれていなかったら、僕はあのまま進んでいただろう。「今年が最後になります」と対外的にも告知をし立ち上げメンバーとのコミュニケーションも満足に取らないまま、終わりに向けてアクセルを踏んでいただろう。あの日、僕のことを止めてくれた藤内さんは恩人だ。来年の「ごごしま音楽プール」がどんなかたちで開催できるかは正直わからない。プールの老朽化が進んでいるのは事実だし、相変わらず僕らはそれぞれ忙しいままだろう。歳だって取っていく。場合によっては立ち上げメンバーの誰かが、やむを得ず休んだり、離脱せざるを得ないことも起きるかもしれない。それでもやれる方法を探し、知恵を出し、周囲の人たちの力を借り、運を味方につけながら進んで行けたらと思う。ただ、今回のことを経験してみて一つはっきりと言えるのは、このメンバーに代わりは存在しない、ということだ。じゃあどうするか?と言われてもいますぐに答えは出ない。ただ、代わりは存在しない、ということを徹底的に理解したことこそが、僕にとっては意味がある。すべてはそこから始まるのだと思う。
20:00過ぎ、最終フェリーの時間が来た。打ち上げを終えて帰路につくスタッフや出店者のみなさん、高野さんやアンチモンのメンバーを港まで送る。綺麗な月が出ていた。ごきげんだがすでに眠そうな中川さん、船内の装飾を取り外す仕事が残っている矢野もフェリーに乗った。これが今日、最後の見送り。なんとなく恥ずかしくなって小さく手を振った。翌日、早朝から後片付けの残りがある徳永と勝間田さんと僕らは、島に借りている家にもう一泊することになった。港から「しまのテーブルごごしま」に戻ると藤内さんの計らいで作られたバーカウンターに徳永と勝間田さんがいた。さっきまでみんなの声がしていた校庭は半分が夜の闇にとけてしまっている。グラスを持った徳永が言った。「ゆーてしもたな」僕「え?」徳永「来年もやるって、ゆーてしもたな」僕も答えた。「ああ、ゆーてしもたな」しばらく間があった。徳永の顔を見るとニコニコしているようだった。たぶん気のせいではないと思う。徳永が続けた。「最後のあれ、よかった」僕「あれって?」徳永「しあわせでしたか?てゆーたやつ」僕「そうなん?」徳永「うん、あれは聞けてよかった」僕「ほんなら、来年も同じこと聞いたろか?」徳永が笑った。僕は来年のことを想像した。もしまた来年、ここでみんなと会うことができたなら、最後に同じ質問をしてみようと思った。
「みなさん、今日一日、しあわせでしたか?」
(完)
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