英語が好きなのに英語の授業が嫌になった理由を考えた日
私は、英語の面白さに惹かれて英語の教員を目指しました。それなのに、なぜ今、英語の授業がこんなに苦しいのでしょうか。せっかく頂いたお休みなので、考えてみました。
英語が面白いと思った瞬間
選択授業で始めたスピーチ
中学校の頃、選択英語という授業がありました。そこでは、基礎英語、発展英語という2つの授業がありました。しかし「基礎」「発展」とは名ばかりで、実際には英語スピーチコンテストに出場する生徒を募るために「発展英語」という授業が設定されていました。
文法ばかりの授業に辟易としていた私は、「なんだか面白そう!」という安易な気持ちで発展英語の授業を選択しました。そして最初の授業では、とにかく日本語で何でもいいから文章を書くように要求されました。「英語の勉強をしなくてもいい、勝ち!」と思いました。
伝えたいことを日本語で考えた授業
当時とにかくお腹が空いていた私は、給食で床に落とした食べ物を食べてはいけないというルールを廃止したかった。そこで、3秒ルールについて周知徹底を図るための文章を書きました。内容としては、5秒以内なら食べ物に雑菌は付着しないから、物を落とした瞬間にみんなで3秒数えてなるべく早く拾って食べようという浅い趣旨です。当時の英語の先生は、この浅い文章に「日本独自の考え方:もったいない精神」を関連づけてくださり、いかにも素敵なスピーチ原稿へと整えて下さりました。
ただ英単語を並べるだけの原稿作り
当時ライティングの授業は皆無でしたので、日本語の文章を英語に直すことはとても骨の折れる作業でした。というのも、中学2年生の私にとって満足に習得していない英文法を使って英語の文章を書くなど到底可能ではなく、辞書を使って調べた英単語を並べて提出するのが精一杯だったからです。しかし英語の先生は私が選択した単語を生かして、文章を美しく整えて下さりました。もちろん、当時の私にはその文章が美しいかどうかさえ、わかりませんでしたが・・・
英語が「伝わった」
原稿が完成してからは、必死でその原稿を暗記しました。ALTの先生が録音してテープを作ってくださったので、いつも録音された英語を聞いていました。NHKの基礎英語のラジオを聞くといいよ、テープを聞いてとにかく真似をするといいよ、先生からもらうアドバイスをとにかく鵜呑みにして取り組みました。そして迎えた当日、依然として日本語を見ないと自分が何を言っているか分からないのにも関わらず、見たことも話したこともないアメリカ、イギリス、カナダ、色々な国の人々が私の言葉を聞いて笑っていました。頷いている人もいました。最後には、3,2,1! と秒数を数える私のスピーチ原稿を暗記して、一緒にカウントダウンをする人まで現れました。
これは、面白い!と思いました。
なぜなら、私はやっぱり、何を言っているかわからないからです。
それでも、正しい英文法、発音、そして伝えたいという気持ちがあれば
相手には伝わるということが何よりも大きな発見となりました。
本当に、楽しい瞬間でした!
生徒の願いに寄り添うことが私の願い
なぜ教員になろうと思ったのか
それから、素敵な体育の先生に出会ったことをきっかけに教員を目指すようになりました。毎日毎時間毎分、生徒の願いに寄り添って、生徒の願いに自分の願いを重ねて、より良い方法で導こうとする生き方に感銘を受けましたからです。(その先生は、体育の先生でしたが・・・)
寄り添うことができない現状との葛藤
こうした過去を思い出した結果、明らかになったことがあります。それは、私の性格と学校現場の実情を鑑みると、これを実現しようとしていては体も心も壊れてしまうということです。つまり、40人いたら40通り、またはそれ以上の寄り添い方を提案することは得意でも、それを実現することができないということです。その結果、妥協策として、一部の生徒に少しずつスポットライトを当てていくことになります。毎日、できなかったことが心に蓄積されていきます。もちろん、生徒にフィードバックを求めると、スポットライトの当たっている生徒以外は「意味のない授業だ」と評価をすることになります。HSP傾向の私は、その一つ一つの評価やコメント、汲み取った感情をもとにさらなる分析を重ねていきます。
また、学校という組織に所属している以上、英語検定、受験勉強、、、とんでもなく多種多様な要求も、次から次へと降りてきます。生徒の願い、保護者の願い、教員の願い、学校の願い、、、
頭がパンクしてしまった結果、私は授業が大嫌いになってしまいました。
そして、教室に行くと涙が出るようになってしまったのだと思います。
これからについて考えたこと
願いに寄り添う英語教師になりたい
私の性格上、現在の日本を取り巻く環境で公立、私立を問わず英語の教員を続けることができないと判断しました。それでも、生徒の願いに寄り添って、40人いたら40通りの寄り添い方を提案し、最後まで添い遂げることができる教員になることが私の夢であることを再認識しました。
私には、学校現場でその夢を叶えることはできませんでした。そのための技術を高めるという選択もできますが、HSP・エンパスの傾向を無視することもできないので、厳しい道を選択するのは潔く諦めようと思います。それでも、夢はあきらめません。自分の性格や特性を生かしてできることを模索したいと思うようになりました。
受け取ってきた生徒の願い
今までの短い教員人生で、出会った生徒が「英語」に対して願っていたことを書き記したいと思います。その多くの実現をサポートすることができなかったことが、とても心残りです。様々な願いの「中間」もしくは「多数派」を採用して授業をすることがとても、苦しい。それは、それが得意な先生に任せて、私は私にできることをやろう♪と思っています。
英語が「話せる」ようになりたい
英文法の基礎をきちんと理解したい
英語の綴りと発音の関係を理解したい
日記などで英文を書いて表現したい
英語で映画が見れるようになりたい
TOEICで良い点数を取りたい
英語の評定を上げたい
洋楽を聞いて理解できるようになりたい
道であった人とさっと英会話したい
発音が上手になりたい
大学入試の過去問題をすらすら解きたい
イギリス英語の発音を真似したい
英語検定を取得したい
英語でLINEなどのやりとりをしたい
英語を打ち込む速さを速くしたい
英語で本を読めるようになりたい
などなど・・・。
少しでも多くの願いに、寄り添いたかったという後悔があります。だから、まだ方法は定まっていませんが、目の前にいる生徒の願いに寄り添う教員人生を送りたいと強く思っています。
寄り添いたくても寄り添えなかった生徒の実態
また、生徒の性格や特性も人それぞれでした。当然ながら、一人一人の長所も短所も異なっています。しかし、学校という組織に所属している以上、寄り添いたくても寄り添うことができなかった生徒の実態があります。申し訳ないという気持ちでいっぱいです。
人前で英語を話すのが苦手な生徒
声を出すのが嫌いな生徒
暗記をするのが苦手な生徒
綴りを覚えるのが苦手な生徒
パーソナルな事柄を表現したくない生徒
朝が苦手でそもそも人に会いたくない生徒
内向的な生徒
英語という教科の特性上、また「コミュニケーション能力を育む」という教科の目標上、こうした生徒にはとくに、辛い思いをさせてしまったと思います。申し訳なかったです。
学校という組織から離れることによって、その一人一人の特性や性格に合った方法を選択することができたらと考えています。
そんな英語の先生になりたいと、今、漠然と考えています。
最後に
いつか「生徒に寄り添いよりよく導く英語の先生」になることができた時、今日のことを忘れないようにしたいです。そして、いつか私の生徒になって下さる方が現れた時、こうした過去の経験からその方の英語教師として現れているということを、知って下さったら嬉しいです。
・・・道のりは長そうですが、楽しく気ままに進みたいと思います。
自分は不完全でもないし、足りないことがあるわけでもない。
ありのままで、誰かの幸せのサポートをする道を模索することは
決して甘えでも、逃げでもないと信じています。
お休みさせて下さったこと、代行の授業等で迷惑をおかけした先生方、本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。
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