スコフヴィン、スクフガバルドゥル、ウルザルケフトゥル

 雄鶏の卵から生まれる生き物だか化物だかをスコフヴィンという。雄鶏が老いたときに産む卵は牝鶏のものに比べると随分と小さいのだが、その卵が孵って出てくるやつが害悪で、見られたものは即座に息絶えてしまう。つまり死をもたらす目を持っているのだ。あるとき、とある場所の教会で起こったことだが、ミサが終わって外に出ていった人々が、途端にバタバタと重なり倒れて死んでしまった。集まっていたなかで特に気丈で如才ない人たちは、すぐこれに気づいた。とりわけ助祭は、外に駆け出ようとしていた人々を立ち止まらせると、急いで長い棒に鏡を縛り付け、ひとりで扉の内側に立ち、鏡のついた先端が芝屋根のところまでいくように、外へ上へと仕切りから棒を伸ばしていった。そうしてから全員を外に出るように言った。今度は誰の身にも異変は起こらなかった。何がこの人死にを招いたのか、助祭には察しがついていたのだ。芝屋根の上にスコフヴィンがいて、そいつが外に出ていった人たちを見たために、彼らは扉から出たところで死んでしまったわけだ。そして助祭が鏡のついた棒を上に伸ばしたとき、スコフヴィンは自分自身の姿を見て絶命したのだ。
 スクフガバルドゥルという名の化物も、同様の目を持っている。そいつは猫と狐の雑種なのだが、猫と犬の雑種だと言う人もいる。ウルザルケフトゥルというのは、この目を持つ第三の化物だ。そいつは、教会の墓地で人の死体を糧にして、三度の冬を連続で越した猫である。人であれ動物であれ、これらの化物の眼差しに耐えられる生き物はおらず、見られた途端に死んでしまう。怪物たちの死因となるのは、自分で自分の姿を見るか、発砲前に銃口に十字を三重で切ったうえで銀の弾丸で撃つことのほかには、何もない。

画家シーグルズル・グズムンドゥスソンの話より。

(„Skoffín, skuggabaldur og urðarköttur.“ 1862. Íslenzkar þjóðsögur og æfintýri. I. bindi. Safnað hefur Jón Árnason. Leipzig: J.C.Hinrichs. Bls. 613.)


脚注を加えたものは、ウェブサイト「氷本(ひょうほん)」で公開しています。「スコフヴィン、スクフガバルドゥル、ウルザルケフトゥル」(http://isl-jp.net/skoffin-skuggabaldur-and-urdarkottur

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