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映画『セールス・ガールの考現学』ネタバレ感想/ポップで真面目な“性”と“生”

2021年制作(モンゴル)
原題:Khudaldagch ohin
監督、脚本:ジャンチブドルジ・センゲドルジ
キャスト:バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル、エンフトール・オィドブジャムツ
配給:ザジフィルムズ
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お初のモンゴル映画。モンゴルといえば、草原をイメージする人も多いかもしれない。しかし、本作の舞台は草原ではなく街中、それもアダルトグッズショップである。

主人公は、素朴で真面目な女子大生サロール。骨折した友人の代理で働くことになったのは、アダルトグッズ専門店!幼い顔立ちとのギャップに驚く。そして謎めいたオーナーとの交流を通して少しずつ変わっていく。

“性”と“生”の新たな世界を教えてくれる存在が、異性ではない同性の女性である点はまだいいものの、自立した女性が若い女性に指導する構図はどうも『プラダを着た悪魔』を連想してしまう。(個人的に『プラダを着た悪魔』は良いとは思えない映画の一つ)

上から目線で若者に人生を語ったり、自分の理論のおしつけのようなものはイマドキナンセンス、所謂Z世代を中心とした若者世代には響かないのでは。しかし、本作はそのあたりのバランスが良いと感じた。それでも全面的に良いとは言い難い。

オーナーのカティアは、人生について色々語ってはいるが、サロールに対し、別に教えてやろうといった姿勢はみられない。教えてあげようというより、話し相手が欲しかったのではないだろうか。カティアは、サロールに食事をしようと声をかけ2人の交流が始まる。しかもサロールは、食事の誘いを断ったというのに、強引に温かいうちにと食事を共にしようという。

かつて人気を博したダンサーであったカティアは多くの恋をし、自由に生きてきたけれど、同時に孤独だったのではないだろうか。一番好きであった人との別れを経験し、家庭を持つことを選ばなかったのか、そういう相手に出会わなかったのかは分からないが。生も性も謳歌してきた一方で、カティアはサロールの両親のような生活、幸せを知らないのだ。

サロールは、子供の頃は草原で暮らしていたという。両親がサロールの将来のことを考え街に定住することを決めたのだ。両親はフェルトの靴を作り、週末は作った靴を市場で売って生計を立てている。製造業に従事する労働者階級である。サロールは絵を描くことが好きだが、親のすすめで就職に有利な原子工学を大学で学んでいる。

カティアに対し、サロールがあなたに人生の何が分かると怒りをあらわにする場面がある。毎日働いて子供と一緒に食事をする。とても幸せなわけでもなく、とても不幸なわけでもない。それが人生ではないのか。あなたは自分が何もない空っぽだということが分かるのが怖いのだとまくしたてる。

恐らくその通りなのだろう。カティアは自分の人生を悔いてはいないだろう、それでも他の幸せもあることはわかっている。寂しくないわけでもないだろう。

サロールはカティアとの交流を通して少しずつ変化はしている。それでもカティアのように生きたいと思っているわけでもなく、親のようになることが嫌なわけでもない。分かりやすく外見は変化する(眉を整えたり、髪型・ファッションが変わっていく)が、サロールの内面についてはそんなに変わっていないのではないか。

サロールは、カティアが一方的に話すことに対して一言質問する程度で基本的にはとても無口である。ちなみにタイトルの「考現学」は実際にある言葉、正しくは造語である。英語でmodernologyといい、考古学のarchaeologyに対応させた造語。古物研究である考古学に対し、現代の社会現象を調査、分析するような学問をいう。(※日本大百科全書より)

まさにカティアから聞いたことや、アダルトショップの客を通してサロールは調査、分析しているのである。それが本作が説教くさいカティアのサロール垢抜け改革になっていない所以ともいえる。サロールの“性”に対するアプローチは殆ど研究、実験といって良いだろう。

(真面目なサロールのことなので恐らく店から購入したのだろう…)バイアグラをサロールは、こっそり両親のお茶に薬を溶かしていれる。その効果は発揮された模様。そして、大丈夫なのかよく分からないが、犬にも食べさせる。こちらも多分効果があったのだと思う。

そして最後は自分でバイアグラを飲む。それも、アダルトグッズをひとしきり手にし、バニーガールのコスチュームを着て一人ホテルでスタンバイしてから飲む。しかし、これはあまり効果がなかった模様。次にサロールは、本当の性交渉に挑む。

恋人なのか、幼馴染なのか不明だが、時折会う青年を家に呼び、お茶を注いでくるとどこかに向かう。しばらくして何故か裸で部屋に戻るとベッドに寝っ転がる。おいおい、誘うにしてももう少し何かあっただろうと思ってしまうが、どこまでも真面目で、真面目すぎて突拍子もないサロールが愛おしく思えてくる。結果的にこの性交渉も成功とは言い難いが、小さな一歩にはなっただろう。

生々しい性について描いているというのに、本作はどこかポップでシュール、爽やかですらある。それはおっとりとした独特なトーンの主人公サロールのキャラクター故かもしれない。性への興味と、若さ故の失敗はティーンムービーによく描かれていることであるが、大げさなまでにコミカルに描くのが多いなか、どこか微笑ましくなるようなトーンで描いている点が面白い。

性への欲求はあってもいいし、そのことを卑下してコミカルに下品に描く必要もない。性に関してもトライ&エラーの連続で良いのだ。その一方で、誰もがそのような経験をしなくてはいけないわけでもない。今のティーンムービー(及び青春映画)に求められるのは多様性と、古いテンプレのアップグレードなのかも。その意味で本作は新たな映画といえる。

見出し画像(C)2021 Sengedorj Tushee, Nomadia Pictures



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