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映画『僕はキャプテン』ネタバレ感想/白人目線の語り直し

2023年制作(イタリア、ベルギー)
原題:Io Capitano
監督:マッテオ・ガローネ
キャスト:セイドゥ・サール、ムスタファ・ファル
イタリア映画祭2024上映作品、第80回ベネチア国際映画祭銀獅子賞(最優秀監督賞)・マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)受賞作

ゴモラ』、『ドッグマン』のマッテオ・ガローネ監督の最新作。

セネガルで生まれ育ったセイドゥは、いとこのムサと、親に内緒でお金を貯め、ヨーロッパに行くことを夢見ている。ラッパーとして有名になりたいそうだ。

母親に黙って出て行くことに気が引けたのか、セイドゥは、ヨーロッパに行きたいと母親の前でポロリといってしまう。

母親はものすごい剣幕で、「誰がそんな話を?」「ヨーロッパに渡ろうとした人の多くは砂漠でのたれ死ぬ」と、怒る。

後に母親の言った通りだったとセイドゥは思い知る。どこまでも世間知らずなセイドゥとムサを地獄に突き落とすかのような過酷な旅が待っていたのだ。

意識朦朧としながら砂漠をひたすら歩く。水もない。そこかしこに途中で力尽きた死体が転がっている。途中、中年の女性が歩けなくなり「助けて」と悲痛な叫びをあげる。

誰もが見捨てて歩き続ける中、セイドゥは引き返してしまう。その女性はもう歩くことは出来ないであろう。また、女性を担いで歩く体力はセイドゥにあるとも思えない。見捨てるか、共に死ぬ以外の選択肢はないのだ。

見捨てなければならないという苦難を乗り越えたかと思えば、尻の中に隠した札束が見つかり、ムサは警察に連行されてしまう。セイドゥは一緒に行こうとしたが突き放され1人残される。

離れ離れになったセイドゥが連れて行かれたのはギャングが支配する要塞。中には傭兵らしき欧米人の姿も。ご丁寧に通訳がいて、国ごとに分けられ国にいる家族に身代金を要求すれば解放する、さもなければ…と脅される。

黙って出てきてしまったムサは母親への恋しさが募れど、迷惑をかけるわけにはいかない。頑として電話番号を口にしない。少年だろうと容赦なく拷問され、意識朦朧のセイドゥを気にかけてくれる男性がいた。

その男性によって建築作業の働き手になり稼ぐことで自由の身になるチャンスを得る。そう、常にセイドゥは何かと運がいいのである。そのあたりが、本作がシリアスな社会派ドラマではなく寓話、叙事詩のようか雰囲気になっているといえる。

ヨーロッパへと旅立つ玄関口にまで辿り着いたセイドゥだが、この地でムサを待つことにする。どう見ても出会える可能性は低いと思われるのに、何と2人は再会する。

そして、安く船に乗せてもらう代わりにセイドゥが船の操縦をすることになる。少年が操縦していればその船が見つかったとしても操縦者、ブローカーのような存在が逮捕されることはないからだ。

オンボロ船にぎゅうぎゅうになって乗り込む乗客を見て、この人たちの命を預かるなんて出来ない!と尻込んだりするも、今更断れず船は出航する。

妊婦の客や、嵐に遭ったりと災難続きの船中でセイドゥは次第にキャプテンとして成長して行く。まさに題の通りである、最後には、拳を振り上げ神と共にと口にする。

難民として逃れた後も、安心して眠れない状況が続くであろうことは想像するに難くないが、そんなことよりも私はクライマックスに寒気を覚えてしまった。

あまりにも西洋的なヴィクトリー譚すぎると感じてしまったのだ。神に対する人々の姿勢も何もかも、西洋的すぎやしないか。思えば全編を通して西洋的な成長譚でしかないのである。

困難な解決すればまた困難が立ちはだかる。世間知らずな少年が次第に現実を知っていくも、そこで心が折れ、悲観的になるのではなくキャプテンとして皆を鼓舞する存在になる。

彼らの物語を自分たちの物語にしてしまう、あるいは自分たちにとって馴染みのある概念に置き換えてしまうマジョリティの傲慢さ。これでは白人側の語り直しでしかない。

当事者以外が描いてはいけないのか、というとそれはまた違う。映画というフィクションが持つ意味はそこにあるのだから。しかし、描く題材によっては当事者性が必要なこともある。また、観客が見ていてマジョリティ側の語り直しだと感じてしまうのはやはり良くない。

『ゴモラ』、『ドッグマン』とひりついた映画も撮りつつ、『五日物語 3つの王国と3人の女』や『ほんとうのピノッキオ』などファンタジー要素のある映画も描いていきたマッテオ・ガローネ。本作は、セイドゥが直面する過酷な現実を映し出しているものの、寓話的な側面の方が強い印象を受けた。

『ほんとうのピノッキオ』といい、本作といい“かわいい子には旅をさせよ”と言わんばかりに少年の成長譚を描いているが…そんな境地に達せず、まだまだひりついた映画を撮ってほしいのが正直なところ。

また、セイドゥとムサのように船で逃れてくる難民は多く、イタリアだけでなく、スペインやギリシャでも救助の前に溺死してしまったり、無事に辿り着けるケースはそう多くない。そのような現状を浮き彫りにしたドキュメンタリーや劇映画も色々ある。

第17回難民映画祭で上映されていた『地中海のライフガードたち』もその一つ。


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