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祖父に胸を張れるように

入院している祖父のお見舞いに行きました。いろいろ感じたことを忘れないよう書き残したいと思います。

祖父との会話

祖父は、これまでも今も大きな病気をしているわけではありません。
しかし年齢も年齢なので、会話はおぼつかなく記憶もかなり曖昧になってきています。

今回のお見舞いでは、何回か行った中では一番たくさん話せた気がします。

「青りんごだよ、久しぶり、わかる?」と聞くと、「わかるよー」と応えてくれた。「ありがとなー」とも。

私の服装を見て「良いセーターだなあ」と言っていた。前回はあんまり話せなかったので、こんなはっきりした会話できるんだって驚いた(ジーユーで2年前くらいに買ったもので特に良いセーターではない。笑)。前より体調は安定していると看護師さんも言っていてちょっと安心した。髪を撫でてみたら固くて、頭が小さいなあと思った。

「また来てなー」と言われたので、「また来るね、元気でね」と伝えた。
しっかり私の目を見て会話してくれて、ずっと忘れないようにしたいって思いました。

どんどん時が過ぎる

祖父は年齢の割にずっと元気でいてくれてたので、数年前に入院して、会話もこれまでのようにいかないのを見てると、私がぼんやりしている間に時が流れたんだなあとひしひし感じています。

というか、周りの友人知人の環境の変化や、よく知った街がどんどん変わっていくのとか見て、時の流れを感じることが増えました。
そして、人の一生は永遠じゃないんだ、もっと大切に噛みしめないと後悔する、と感じます。

地道に歩むしかない

2年ほど前、初めて祖父のお見舞いに行ったとき、やはり会話はおぼつかなかったものの、私の顔見た祖父が、「立派になったなあ」って言ったんです。私を私と認識してくれてたかは定かではないですが。

当時の私は、付き合っていた彼氏と同棲しつつ、結婚に踏み切れず、もやもやと立ち止まっていた状態。

もう、全然立派なんかじゃない、こんな中途半端な孫で、ふがいなくて、でもやはり結婚にも別れにも踏み切れなくて、帰りの電車で家に着く前から泣いてた(公共の場で泣くのをどうにか堪えられるようになりたいものです)。

いつか本当に立派になって胸を張って祖父の前に立ちたいと思うのですが。
正直、決して先は長くない。本当に叶うのだろうか。

そもそも「立派」ってどんな状態?って考えたとき、私なりの「立派」の定義を二つ決めました。
ひとつは、好きなことを極め、実現したいことを成し遂げていること。
もうひとつは、誰かと結ばれ、お互いがお互いの人生のパートナーとなること。

自己実現。命を燃やす。
私の人生を歩んでるよ、と胸を張れるようになりたい。

そのために、結局は目の前のことを地道にやるしかないんだよなあ。
時間は限られていますが、行動あるのみです。コツコツ1歩ずつ。

特におじいちゃん子ってわけでもなかったのですが、このままじゃ後悔すると感じたので、お見舞い行けるときには(コロナで制限されている)なるべく足を運びたいです。

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