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評価の軸は多種多様
評価の軸を他人に振ることは、私はあまりしたくない。
例えば、息子が歌を歌っていて「上手い?」と聞いてきた。
「上手だよ」と答えて、ふと思う。
「上手い?」と聞いてきた子供はすでに自分の中に「上手い」という答えを持っている。
それを自分の外に向けて発することで「自分ではそう思うけど、他の人はどうかな?」という答えを求める。
そこで、「下手だよ」と返ってきたらどうだろう?
「自分の思っていた答えと違う」と思う人もいれば、「そうなんだ…。自分は歌が下手なんだ」と思う人もいるだろうし、「この人は分かっていない!」と相手を排除する人もいるかもしれない。
自分の外に評価の軸を求める場合、聞いた相手によって評価は変わる。
歌の上手い、下手で言うと、「音程がきちんと取れてる、上手い!」と感じる人と、音程は少し外れていても「心に響いてくる歌だ、上手い!」と感じる人もいるだろう。
人の感じ方はそれぞれ違う。
ということは、聞く相手によって答えはバラバラということだ。
その評価に一喜一憂することなく、自分の評価軸で自分を認めてあげて欲しい。
自分が他人に評価を求めていない時にも、他人から勝手に評価されることもある。
「上手だ」と言う人に出会った時、素直に「ありがとう」と言おう。
「下手だ」と言う人に出会った時、「そうか、でも自分は歌が好きだし良いんだ」と言おう。
さらにそこから成長することも出来る。
自分と違った意見からは、成長する機会がたくさん得られる。
「下手だ」と言われることは、なんともネガティブな波を感じる。
でも、たとえ「下手だ」と言われても、そこから「じゃあここをこうしてみようかな」と転換できると自分がもっと成長していく。
もちろんポジティブな意見からも成長する機会はある。
だからどちらの意見も、自分にとってプラスに繋げることができる。
「プラスになる幅」が大きいのが「自分と違う意見」だということ、という違いがあるだけで。
自分と違う意見ということは、自分とは違った視点で物事を見ている、ということだ。
自分には見えていないものが見えている、貴重な意見だ。そこを活かさない手はない。
子供に伝えるには難しい。
もっとわかりやすく伝えてあげたい。
ひとまず備忘録!
そんなことを思った夜だった。