「潜入取材、全手法」を読む
横田増生師の「潜入取材、全手法」(角川新書)を献本頂き、読みました。今回はYouTubeでも語り切れなかった、同書を読んでの思いを記しておきたいと思います。
まず言えるのが、同書はこれからの書き手に送る熱い思いを込めた一冊だなということです。
記者になりたい、ライターになりたいと思う若者は少なからずいると思います。しかしーー、収入が安定しない、食えないかもと考えて業界に入る前に諦めてしまう人も多い。実際に僕も28歳のときに、サラリーマンを辞めて鎌田慧さん(潜入記者の草分け)がメイン講師である「ジャーナリズム文章教室」に2回通った。そこにはライター志望、記者志望の若者などが30人ほどいたが、半年の講座のうちに1人消え、2人消えとなり、結局は2期50人あまりの中でライターとして歩みを始めたのは僕を含め1~2人ほどだった。みな収入や将来の不安を口にして別の選択肢を選んで行った。
ライターを始めた僕は、ライターという仕事や記者に好奇心だけで参画し、あまり収入とか将来を考えなかった。気合いだけで仕事を始めたが、本当はもっと才能のある人がどんどん参画する業界であるべきだとも思っていた。
そこで潜入取材、である。
アルバイト代を稼ぎながら、リアルに社会構造を描いていくという仕事は、かなり面白いはずだ。僕自身は潜入取材はしたことがないが、サラリーマンを6年やって企業がこうしてダメになっていく様をまざまざと見てきた。あのとき記者をやっていて、会社の内実をルポとして書いたらリアルだっただろうと思う。その一端は、note連載「週刊誌記者という『世界』」で書いてみているのでご興味あれば覗いてみてください。
記者が潜入取材を行い、リアルな現場に直面するということは日本社会にとってもいいことだと思う。企業や社会は様々な歪みを抱えながら暴走しているが、その歪みはやがて金属疲労という形で現れる。それをいち早く察知して、ルポルタージュとして書くというのは価値が高い仕事だ。
一方で、同書を僕は20代から30代初めに読んでおきたかったという思いも強くある。特に僕は記者訓練を一回も受けたことがなく32歳から記者を始めたので、記者教育、ジャーナリズム教育というものを受けたことがない。取材をしながら学ぶのと同時に、いろんな本を買い集め、取材や執筆の手法を模索しながら悪戦苦闘をしていた。その当時にこの本があれば、僕の記者としての”ノビシロ”はもっとあったなーと思う。取材経験に学び、読書に学ぶことでしか自分は訓練を受けることができなかったので、ある時は読書して、ある時は「書を捨て街に出よ」精神で取材に行っていた。
32歳から長く週刊誌記者をやった。ほとんどの記事が、書かれた相手にとっては嫌な記事という仕事だ。世間では「人の足を引っ張って」とか「卑しい仕事」だと蔑まれることも多い。しかし同書で引用されている、オーソン・ウェルズの「ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることだ。それ以外は広報だ」という言葉は勇気を与えてくれる。週刊誌にもジャーナリズムがあることを、先人が残した言葉で再確認できたのだ。
先日、週刊文春で「東京都のドクターヘリ」問題の記事を書いた。数週間後、AERAのウェブ記事で東京都反論記事が掲載された。意見の対立ポイントについては下記YouTubeで解説しているので参照頂ければと思う。「天下の朝日新聞が運営するメディアが東京都の広報記事を出すのかよ!」という怒りを僕は抱いた。その怒りは、必ずしも自分の記事の正当性を主張したいということではない。どうにも、やるせない思いなのだ。
同書にも、朝日新聞のディズニーランド記事が酷く広報記事かのようだと書かれている件がある。批判の文章は、朝日新聞という日本を代表するメディアへの期待の裏返しであり、落胆なのだとと思う。同業としてそれでいいのかという問いを抱かずにはいられないのだ。記者同士ペンを磨きあってこそ業界やジャーナリズムは発展するはずなのに、お手軽記事でジャーナリズムを放棄している記事があることが心底悲しい。
同書で書かれた「取材相手に原稿を見せてはならない」という件も、まさに甚野さんの著作「ルポ高級老人ホーム」で起きたことだ。甚野さん著作には老人ホームと筆者のバトルが記述されている。甚野さんと編集部はクレームを入れてくる相手に対して原稿は見せないという一線を守り闘いきるのだ。ガチ取材で広報記事とは一線を画した「書かれたくないこと」満載の同書は、週刊誌ジャーナリズム滾る一冊であると思う。こうした記者たちの闘いに勇気を与えてくれるのがオーソン・ウェルズの言葉であり、横田さんの一冊なのだ。
個人的に興味深かったのが、横田さんがアイオワ大学でジャーナリズムを学んだ章だ。僕はジャーナリズムを大学で教えてもらったことがないので、凄く参考になった。僕は経験や言葉から報道とは「主観的なもの」とずっと考えてきたが、ジャーナリズム学の世界では「客観」と「主観」を往来するような議論が続いていたのだと知った。個人的には日本の大手メディアが客観報道という”逃げ”を基準にしていることで、日本のジャーナリズムの発展が遅れており、報道の自由度ランキングが低いままなのだとも感じている。ジャーナリズムの歴史について、詳しくはぜひ同書で確認してもらいたい。
裁判の章も、週刊誌記者なので興味深く読めた。特に「お前の母ちゃんデベソ」と「王さまは裸だ」の説明が、報道とは何かをわかりやすく伝えている説明だと思いました。僕はことあるごとに週刊誌とガーシーは違うことを力説してきたが、世の中には理解できない人も多いのがジレンマだった。ガーシーがやっていることは「お前の母ちゃんデベソ」ーーつまり事実であっても私怨からくる悪口でしかなくーー、週刊誌がやっていることは「王様は裸だ」という公共性を含んだ事実提示ーー読者の関心事を記事にすることもあるが、私怨で記事が出されることは基本的にはないーーであると言うと少しは理解されるだろうか。
裁判の章で特にジーンときたのが、元店長が「ユニクロがウソだというなら、それに対して僕はウソはないですよといいたい」と裁判で実名証言をしてくれる件だ。ネタ元が署名してくれるシーンは、幾多の裁判を経験してきた記者としてとても泣けた。
同書は記者の基本を教えてくれるばかりではなく、横田さんというジャーナリストの半世記としても読める一冊であり、記者やジャーナリズムに興味がある人は一気読み必至の本です!
(了)
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