「迷宮の悪夢2」によせて 生と死の間にあるスクリーンのようなもの
以下の文章は2019年7月19日から8月4日まで神奈川県横浜市石川町にあるgallery fuで開催された企画展「ダークファンタジー 迷宮の悪夢2」のために執筆したステートメントである。
人はこわい思いをすると「これが夢であって欲しい」と願う。それは、夢の先には必ず覚醒があるからだろう。そう、悪夢はあくまでも夢であって現実ではない。夢から覚めれば、人々は胸をなでおろし、安堵する。だから悪夢の先には癒しがある。
死や戦争、災害などにかかわる悲劇の現場を観光するダークツーリズムという概念がある。原爆ドームやナチの強制収容所、そして世界貿易センタービル跡地のグラウンドゼロ。怖いものが見たいという好奇心だけではなく、過去の過ちを風化させないために、そして鎮魂のために、人々は悲しみの場所へ旅をする。
社会学者のトニー・ウォルターは、「人は死を直視できない。だからダークツーリズムは、生と死の間にあってスクリーンあるいはクッションの役割を果たし、人々は死について知ることになる」と述べている。
アートの世界での死や恐怖は、アーティストによる創造物だ。現実とは違う。恐怖を描いた作品は、生と死の間にあるスクリーンのようなものだといってもいい。だからこそ死は美しく、恐怖は人々の心を引き付ける。
本展では11人の美術家による悪夢のような作品を展示する。いずれも怖い作品だが、同時に癒されるはずだ。
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