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最近読書が楽しい

なんていやしい真似をしているんだと気づいたのは、フォークからボロネーゼの具がポロリと落ちて口に入らなかったからだ。

本を読む手が止められず、右手のフォークでショートパスタを刺しつつ左手で文庫を開いて文字を追っていた。

誰も見ていないからって、こんな分別のない行動をするなんて。

本を読みながらご飯を食べる。33年生きてきて初めての経験だった。

私は大した読書家ではない。

自宅に本棚はなく、収納ボックスに漫画以外で収められているのは『ハリー・ポッター』4冊と『チャタレイ夫人の恋人』のみだ。

今更になってこの本を隣り合わせて置いておいていいのだろうか……と自分に問いたくなるが、場所は有限であるし、気にしないでおく。ことにする。

最近本を読むのが楽しい。

社会人になってから、職にあぶれた時でさえ年間で活字のみの本は1冊も読まないことが常だった。

夫の初の転勤で、初めて降り立った四国の地で、県民になる許しを乞うように『坊ちゃん』を読んだ。

(この街にはあちこちに『坊ちゃん』と銘打たれている物や場所が溢れている。きっと街の美しい景色の中でマドンナとの思い出深い物語が綴られているのだろうと期待していたら、松山の地は"坊ちゃん"に驚くほどディスられていた。こんな田舎1秒でもいたくないみたいなことを言っていた印象がある。思い切り松山のネガキャンをしているような本だったのに、そのタイトルを街の顔のように使用しているところがシュールで面白い。と『坊ちゃん』の文字を見るたびにふふっとしている)

しかし、その1冊のみで、その後また数年本に親しむことはなかった。

そんな私が、去年から本を手に取るようになった。

たまたま見ていた『ほんタメ』という本を紹介・お奨めするYouTubeが面白かったからだ。

挿絵のない活字のみの本を読むことは、私にとっては中々ハードルが高かった。

取り組み易さを表すと

易← 漫画を読む>アニメを見る>>映画を観る>>>>>>小説を読む →難

という感じで差があった。

まず本を読む前に、(今の私に「読書」ができる気力はあるか…?!)と自分に問いかけるところから始まる。

大体が(今は無理だな…)と本を吟味することもない。

去年はほんタメのお奨め本を手に取って読んでいたが、10冊程度読んだところでちょうど半年だったか、気付けばまた読もうと思えるまでに半年かかっている。

その時々で、今は映画が観たい、今は漫画、今はアニメ、と自分の中で旬がコロコロ変わってしまう。

それが今、中々来なかった読書の旬が到来している!

まだ今年は6冊しか読んでいないが、その6冊どれもが面白く、今までになかった読書体験ができているのがこの高揚感の正体だ。

読書を楽しむというハードルが、映画を観るのとそう変わらないくらいの気易さで位置している!

昨日一冊、読書しながらの食事という恥ずかしい真似をしながら読み終えたが、本を読むなら読む、食べるなら食べるとすべきだったと反省している。如何せん、本の内容が美味しそうなご飯ものだったのでお腹が空いてしまった。

お腹は空くが続きも気になる。

私はご飯ものの小説を読むのも初めてだった。

その結果、片手間にご飯と読書というはしたない失態を演じてしまった。人目はなかったが本にもご飯にも申し訳がない。詫びた。

ごめんなさい。

なんてことしてたんだ! と気づいてからは本を汚さないように離れた場所に置き、ちゃんと器と向き合ってパスタを食べ切った。

それだけ、読書が楽しい。

こんなに読書を楽しいと感じるのは初めてだ。

ネットにあげられている2次創作の小説を読むのも好きだったが、それももう10年近く前の話だし、紙の小説はそれほど気安く私に寄り添ってくれたことはなかった。

やはり労力がいる。

しかし、今は本を開けば登場人物がまるで友人のように話しかけてくれる!

本を読むことは、一生懸命に頑張る主人公の紆余曲折を隣でそっと見守り、完読することで、主人公を応援することそのもののように思えた。

面白い本を読む度にそれぞれの本特有の新しい体験をさせてもらっている気持ちになる。

きっと次読む本も今までと違った楽しさや面白さを教えてくれるだろう。

読書ができてよかった。

きっかけをくれたほんタメや、お奨めを教えてくれたTwitterのフォロワーさんに感謝!!

もしかしたらまた旬がいつか過ぎ去り、本から遠ざかる期間もあるかもしれないけれど、その時は心躍る読書の楽しさをここに残して、また旬の時期を待とうと思う。

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