コンペイトウグザとロマンチック
ロマンチックは年を重ねる度に減っていくのよ
それは、あまりにも美味しすぎてしまうから
白い薔薇を買うこと
コンペイトウグザを水辺で眺めること
何が幸せかに気付いて行けば、ロマンテックは年々減って行き
それが悪事ではないとわかって行く
友人の誕生日プレゼントを買いに出かけて
独り身の時は、休日の楽しみは雑貨屋巡りだったと言うのに随分と足が遠くなったとふと思う
スラリとした綺麗なボトルで黒いリボンを首につけたいちごのハンドソープを手に取り
『1ヶ月くらいは持つかな..』と考えた
そう、日々の暮らしの中にちょっとした至福の時を感じてくれる期間のこと
使う時だけ感じてもらえる至福の感覚
私は歳を重ねる度に、見た目の良いものよりも
この束の間の至福を贈り物にしたいと思うようになった
幸せいうものの形が手に取れるようになって来たのは
自分自身で生活雑貨を作るようになってから
自分の作るものを身につけ
自分の作ったものに囲まれ生活をする
自分の作ったものだから、それはもう見ているだけで気分が良くなる
人生に何かが足りないと、そう思っていた私の心にスポリとハマるように私は幸せの意味を見つけたのだ
それからは、この日常の中に小さな至福を感じるものを集めて来た
それは、ロマンチックなことなどではなく
白いバラでもなく
つまらないくらいに、些細なこと
疲れた時は、コーヒーを水筒に入れ森へ行き
毎日、日々のBGMを音楽だけにし
私の小さな家族たち、息子やオカメインコとぎゅーっとハグをすること
集めて、集めて、集めてきたら
私にはロマンテックはさほど必要なくなった
ロマンテックは、食べたいときに食べられる
その代わりに乾くのも早いから
まだだ、まだだと欲しくなる
ロマンテックを食べていたのに、ロマンティックに食べられていたなんてこともあるでしょ
それも一つの経験と言えばそうなのかもしれない
でももし、
コンペイトウグサの可憐さにひとときの至福を分けてもらえることを知れたなら
大きな木々の下に行けば、いつでも至福を分けてもらえると気付けたら
焼きたてのクッキーの香りを思い出せたら
それほど、たくさんの何かが必要だとは思わなくなる
そうして、私は少しづつロマンチックとお別れをしたの
ロマンチックからは、いい気分も痛みもたくさん教えてもらったから
もう必要ないとそう思えたの
このエッセイ内で、ロマンチックと表現しているのは全ての依存物のこと
人は色々ものに依存しながら生きていますし
この現代だからこそ、いつでもインスタントの幸福を食べられる
でも、こんな現代だから
小さな至福に気づき、それらを重ねて小さく生活することの良さを知ることは自分の人生を良いものにするものだと実感しています
依存というものに、とことん懲りたら
そこが人生の本当のスタート
私は実体験からそんな風に思うようになりました
水辺に咲いていた花はとても小さく一見すると見逃してしまいそうなほど
それはミゾソバ(コンペイトウグサ)と言う花
私は、この花を知り
この花の名前を知り
また、生活の中にある至福の意味を知りました
akaiki×shiroimi