古典に立ち返る
今日は初めて、東京・六本木のサントリーホールを訪れた。
一度は生で聴いてみたいと思っていたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を、辻井伸行さんの演奏で。
こんな機会はない。
金額を見ずにチケットを取り、出産前ライブ盛り込み期間のグランドフィナーレとしてこの演奏会に足を運んだ。
幼少からクラシックバレエを習っていたこともあり、クラシック音楽は私が1番好きな音楽ジャンルだ。
毎日のようにレッスンでクラシックを聴き、よく地元のコンサートホールに連れて行ってもらっていた。
それに加えて小学生の頃は「のだめカンタービレ」が大流行しており、サンタさんに漫画全巻をリクエストしたこともある。
のだめカンタービレの実写で有名になった「ベートーヴェン 交響曲第7番」や「ラプソディ・イン・ブルー」よりも、私は今回の「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番」がなんとも心に強く残っていて、十数年の月日を経てサントリーホールで聴けたことはこの上ない贅沢だった。
1曲目は、パリオペラ座バレエのために作られたと言われる「バッカスとアリアーヌ」。
指揮者のドミンゴ・インドヤン氏は、踊るように指揮を振る方で、その背中から出るオーラと力強い表現力に惚れ惚れとしてしまった。
そしてお目当ての2曲目「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番」。
ピアノ:ダーン ドーン ダーン ドーン ダーン ドーン ダーン ドーンドーンドン ドゥルルラララドゥルルラララドゥルルラララドゥルルラララ
ストリングス:ッダーラン ダーラン ダーンダーダーダーダーン
ここで涙が溢れた。
(伝わるかしら…)
なんの涙だろう。
感涙だなんて一言では表したくないような、尊くて純度の高い涙が私の目を潤した。
この涙と音楽は、なぜか私にこれまでの人生を振り返らせた。
クラシックバレエに熱中していた頃を思い出した。黒歴史時代(高校時代)に少しかじった吹奏楽のことも思い出した。
あのチューバの子、嫌いだったな。
あの指揮者の先輩、モテてたけど気持ち悪かったな、なんでモテてたんだろう。
あのクラリネットの先輩、地味だったのに最近整形して恋愛リアリティショーに出てたよな。
など。
綺麗に思い出を振り返れないのが私の性分である。
アイドルを追うのに大忙しな日々を送る今、ふと、なぜ小さい頃の私は「クラシック」バレエにあんなにも夢中なっていたのかと疑問に思った。
ほぼ同じ振付を同じ音楽にのせて毎日踊る。
新鮮味がないことを毎日毎日。
このことについて、今日ひとつ解を得た。
好きなアーティストの新譜、好きな作家の新作、あのドラマの続き、あの映画の続編。
「新しい」刺激に嬉々とする日々ももちろん幸せだが、たまには古典の音楽や物語に触れ、その中にある人間の不変性に心を馳せることも人生を豊かにすることなのではないか、と。
幼少から思春期に古典に触れ、青春時代に新しいエンタメにたくさん触れた。
そして今日、古典に立ち返る。
自分にとっての良きタイミングで、私は私の人生を豊かにしているのだ。
3曲目を終え、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
何度も何度も指揮者が捌けては舞台上に戻る。
そして、アンコールが始まった。
流れたのはプロコフィエフがバレエ版の上演のために作った「シンデレラ」。
いよいよ涙が止まらなくなってしまった。
私が人生で最も「生きている」と感じられる場所で鳴り響いていた音楽。
この曲は私の人生に最も美しい彩りを与えたあの舞台を甦らせるワルツなのである。
音楽は、救済だ。
宮廷に仕えていてふとこの曲を耳にした彼も、戦時下の街で祈るようにこの曲を聴いた彼女も、1人で子どもを育てながら私をコンサートホールに連れいってくれた20年前の母も、そして今日の私も。
同じ音楽を聴いてきっと何かしらの救いを得たのだ。
解決策が見つかるとか、不安な気持ちが消えるとかではない。
うっすらとしたグレーの中にほんの一筋だけ白を見つけることが救いである。
古典に立ち返ることは素晴らしい。
手が痛くなるほどの拍手をしながら、私は救いを得るのと同時に、ひそかに野望を手の中に込めた。
いつかは舞台の向こう側に。
何か救いを与えられる人に。
もっともっと人生を豊かにすることに、私は必死である。
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