ダウンシフト
午後5時のウエストミンスターの鐘の音を合図に夕餉の支度を始める
日が延びたと思う
今日は春キャベツとベーコンの豆乳鍋
長芋の素焼き
切り干し大根とピーマンの煮物
なめことワカメの味噌汁
ホタテご飯
6時に次女が塾を経由して始業式だった高校から帰宅
6時15分今日まで春休みの長女と3人で夕飯を食べ始める。
ああ今日も美味しい。ママは天才かもしれんね。いつものことなので慣れたもの娘らは無言で受け流す。
下膳をして皿を洗いながら明日の朝ごはんの準備もしておく。
風呂の水を洗濯機に移しながら、風呂を洗い、お湯を沸かす。
7時。まだ7時なんだと次女から順に風呂に入り
8時。図書館から借りた角田光代さんの「ロック母」を貪るように読み、ふと、リハビリ復職中故の短時間勤務で生まれた、この健康的で文化的な生活こそが、中学生の頃からお題目のように唱えてはテストに出るもんだから覚えてしまった憲法で保障された最低限度の生活ってやつなのでは?と思い、忘れないうちにとノートに書きつける。
ワークライフバランス。病前は好きでやっていた面もあるけど、残業して鬼の形相でチャリぶっ飛ばして帰宅して、それでもコンビニ弁当や外食は自分が胃もたれして嫌いなものだから、時に人参じゃなくて自分の指切りそうになりながら夕飯を作って、食べ終われば8時かな。もうクタクタで洗い物をするのが嫌で嫌で仕方ない。お風呂も沸くのが待てなくてシャワーで済ませてしまったり、そのくせ見たいわけでもなく動画を見て惚けて、イタズラに時間を過ごして、夜更かししたりもしてた。
自分と時間の間に仕事のボリュームがありすぎて、うまく時間を自分に引き寄せられないと言ったら良いのか。その仕事の影振り払うために、無駄に時間を浪費して、悪循環自分と時間が遠くなる。
仕事を休んで、そして少しづつ復帰してみて、ギチギチに詰め込んで綱渡って生まれた僅かな時間を余暇に楽しむことなんてできない。タップリ余裕があって初めて、自分の時間としてつかうゆとりが生まれる。
多忙な中隙間時間にやりくりしている方もおられるのだろうとは思うが、私にはとてもできない。
ワーカホリックだったのかな。勿論やり甲斐もあったけど、ひと月以上その仕事をホン投げてみれば、私はそれでも生きているし、事業だって継続している。出来るならやればいいと思う。気の済むまで。でも、はたと立ち止まった時に、階段降りてみるのも1つだと思う夜に。
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