散る花弁に思うこと
赤毛さんの周りではお亡くなりになる人が多いのかなと
言われてみて
はたと気づくけれど
それは亡くなった人のことを
亡くなった人はもう語ることはできないから
生きている人間が語ろうと
意識的に書いているのもあるけど
離婚したときにも
メソメソっとしたトーンで私が口にしたのを敏感に感じ取って
1分に一組って速さで離婚してる時代に
珍しいことでもなんでもない
世界で初めて自分一人が離婚したみたいな顔してんじゃねえと
何なら俺も離婚経験者だと
笑われたのを思い出す笑
そう何秒かにお一人か
統計としては知らないけれど
生まれるときはオギャあと盛大に
ミマカルときはすっと息を引き取って
人は生まれて死んでゆく
多分別に赤毛の周りでだけ
人が亡くなっているわけじゃあない
everywhere, everytime
人は生まれそして亡くなっている
私は人の生活に踏み込む仕事をしているから
家のドアの内側に隠れて見えないことも
生老病死
喜怒哀楽
全方的に目撃者になりやすいんだと思う
今の職場に来た初日も
数日前に突然亡くなった女性の利用者さんの
お別れの会の準備の最中で
利用者さんがその方の死を悼みながら
大きな白い布にそれぞれのやり方で
ワンワン オンオン
周囲を憚ることもなく泣きながら
お別れのメッセージを書き込んでいた
文字の方も絵の方も
手形を残す方も
朝になったら目を覚ますことがなく
冷たくなっていた
昨日までは元気に通所していたのにと
突然そんなに呆気なく人は死んでしまえるものなのかと
それをこんな風にストレートに悲しむ人と場があることが
勤務初日の私には衝撃で
会うには少しここに来る赤毛が遅かった方に
安らかにお休みくださいねと
メッセージを書き添えた
勤務してみると
実際呆気なく利用者の方がなくなることは何度もあった
それは生まれつきの障害や病気で
長くは生きられないことが
予めプリセットされているからでもあったし
言葉を持たない方などは
痛みや不調を自分の内側には感じていても
周囲に正確に伝える手段を持たないゆえに
お腹が痛いと言っていても
暴れているようにしか
怒っているようにしか受け取られなくて
周囲が病気だと気づくのが遅れて
病院で病名が分かったときには
もう治療が難しいことも少なくない
また新しい場所や知らない場所へ行くことへの不安から
医療機関の受診そのものが難しくて
やっとの支援者が何度も通院の練習をして
歯医者に通えるようにはなったけど
治療は全身麻酔で進行してしまった虫歯を抜歯するもので
沢山歯を失った
(でもそれ以上の悪化は防いだけれど)
咳をしているなあと思って
でも本人は大丈夫だと
病院も注射も嫌いで
治らないからオカシイと受診すると
進行した肺がんで
ポッコリと大きく膨らんだお腹は
水がたまっていてどんなにか苦しかったろうに
作業所に行くんだと看護婦さんにも見舞いに来る人にも必ず笑顔のまま
駆け抜けるようにして
川を渡って向こう岸に行ってしまった方もいた
高齢になったお母さん方も口をそろえて
この子よりも1日だけ長く生きたいと
白くなった頭や丸くなった背中で
いつも時間に抗っているみたいだった
シルバー人材センターで働いておられて
仕事を終えて帰宅しようとバス停に向かう途中
携帯を忘れたと、小走りでほんの数メートル
建物に戻ろうとして
走ってくる大型車に轢かれて
その場から高いところに
逝ってしまわれたお母さん
息子さんは、作業所を利用していたのだけど
待てど暮らせど帰ってこないお母さんを待って
他の兄弟やお父さんは警察に呼ばれて
そのことは知っていて対処していたのだけど
彼は受け止められずにパニックになるやもしれぬと
告げられずに朝を迎えて
そしてお母さんが交通事故で亡くなって
もう帰ってこないことを知らされて
家を叫びながら飛び出して
その日は燃えないゴミの日だったのだけれど
ゴミ出しに出てくる人、ひとりひとりに
僕のお母さんが死んじゃったんですうううと
叫びながら、
バスに乗ってバスの乗客に叫びながら
作業所に向かってきた
彼が作業所に向かう道すがら
色んな人から
大林君が叫んでいる
お母さんが死んじゃったと
どういうことかと、
作業所の電話が鳴った
ご自宅に安否を確認して電話をかけて事実を職員も知った
そして泣きじゃくる彼を迎え入れて
いっしょにいつものように作業をした
どうしてもお母さんに会いに行くと言わないから
会ってしまったら事実を受け入れなくてはならないから
焼き場に行くその前の日に
一緒に安置されている葬儀場に行った
ほんの短い間お部屋に入って小さく手を合わせて
一言も発せず一粒の涙も見せずに
部屋を後にした
どんなに悲しくても
生きている人には明日は来て
どんなに生きたくても
死んでしまった人には明日は来ない
その無慈悲に不条理に訪れる瞬間の
その鉈が振り下ろされてしまうと
あんまりにも人は無力なのだけれど
だからこそ
生きていることには輝きがあるし
生きてる間は生きていなくちゃいけないんだ
死のうと思ったその瞬間も僕の心臓は動いていたって
僕の身体は生きたがっているんだって
歌詞にあったけれど
生きている間は生き抜かなくっちゃいけないんだって
そう思う花曇りの日曜日の昼下がりに
音楽は
生きようとする身体を歌った
FoZZtoneのLOVE