お盆とテニアン島
今年は5月位から断続的にもう暑かった気がする。四季というよりもはや二季、雨季と乾季アジアのモンスーン的な気候に近づいているのを感じる。多分10月位まで、5月から数えて半年は半袖短パンビーサンで過ごせる。
それでも
それは脳がそう記憶しているのか、願望なのか、暑さ寒さも彼岸まで。海にはクラゲがでる頃だし。お盆を過ぎれば暑さも峠を越えて和らぐ気がする。
少し真面目な話をすると
色々旅をしたけれど、沖縄と広島と長崎は特別で、観光に訪れる前に、自分なりに歴史を確かめてみなくては、シュノーケルだの、お好み焼きだの、ハウステンボスだのとミーハーに訪れる気にはなれないと思った。
勿論その後に美ら海水族館だっていったし、宮島にも行った。広島市民球場で野球観戦もした。観光を否定してるわけじゃない。
ただ、そこで何が起きたのか、知りませんでしたと無知を通すには余りにも沢山の方々が亡くなっていると思うから。
成人してからお盆休みに一人、バスを乗り継いで資料館、戦跡を巡り、万歳クリフ、慰霊の塔、閃光に一瞬にして消えた肉体と残る影に手を合わせた
人が死んでない土地なんかないし、平将門の例を引かなくても、もし霊という世界がこの世にあるなら、生きてる人間より、有史以来亡くなった人でこの世は大混雑だ。全ての亡くなった誰かに手を合わせていたら、きっと前に一歩も進めない。
だから、人は忘れて生きている。忘れなかったら生きていけない。でも、忘れたくても忘れられない、誰にも言えずに、その人が自分胸に納めて墓場まで持って行こうとするのを、見て見ぬふりして歴史の闇に見送るのはなんか違うと思う。
蓋こじ開けるつもりはないし、そんな資格は観光客にはない。内側を語るには、その悲しみと苦しみと後悔と絶望に倒れそうになるのを、誰かが横にいて支えてくれないと絶体無理だ。内圧に耐えかねて、語る人の魂が破裂してしまう。
無関心と無知が空気を支配して何十年もたつと、なんで沖縄沖縄と今年やたらとメディアが持ち上げているのかにも違和感が沸く。沖縄は戦後20年以上アメリカが占領していたんだよ。
戦争が何故起きたのか、歴史の検証は私の手には余る。でも、何が起きたのか、普通に暮らしていた、等身大の自分の延長線上にあるひとが、どんな風に戦争状態に巻き込まれて、どう死にどう生きたかは知ることができる。
私に出来るのは、知ろうとすることだけ、そして考えつづけることだけ。
テニアン島という玉砕の島を生き延びた家族の物語を紹介して、結びに変えたいと思います。