見出し画像

砂糖菓子

柄にもなく
小論文のテーマみたいなこと
多様性のことをずっと考えている
違うな、多様性そのものというより
巷間、多様性という時の違和感のことを
何にモヤっているのかと考えている

最近のヒット商品で流行語大賞候補
これさえ入れとけば賢く見えるみたいな
免罪符的な売り出し方
グローバルとかサステナブルとかも

みんなちがってみんないい
金子みすゞさんの言っているのも
多様性のことなのかな

私はこう思う
私はこう思わない
どう思う自分もまた尊重される
どんな意見があってもいい
それが多様性を認めるってこと

そんな風に解釈されているような気がするけど

本当にそんなに耳触りが良くて
ホップステップジャンプ三段論法で
実現することなのかな

私が日常にしている地平には
障害を持った人がいわゆる普通の平面よりも多くいて
脳梗塞の後遺症で言葉を中途で失った失語症の方も
耳の聞こえない方も
自閉症で言葉を持たない方も
緑内障で真ん中から下半分の視野が欠損している方も
半身の自由を失くして車いすで移動する方も
時間の概念が弱く場面の切り替えに弱くて
カレンダーをめくる頃になると不安を強く感じる方や
記憶障害で一日に何十回も結婚しましょうと
結婚を申し込み続けて20年以上経っている方
映画メメントの世界線は 現実にある

こうとしか生きられないと
隠しても隠し切れない
圧倒的な差異を纏って人が集まるときに

ピーッとホイッスル鳴らせば
同じ速度と歩幅で前進し始める入場行進みたいに

あなたはこうあるべきだと
私たちの世界線に合わせなさいよと
健常者の側から迫るのは暴力だと思う

蝶のようにヒラヒラ歩く人もいるし
ズンズン競歩みたいに前へ前へと突進する人もいるし
デンと座って動こうとしない人もいる

障害を例に出したけど
多様性ってそれだけのレイヤーじゃない
外国籍の人
宗教の違い
性自認の違い
主義主張の違い
多様性なんて改めて言われなくたってさ
自分以外は全員他人で違う人なんだから
多様なんだよねそもそも論笑

その時に
みんな違ってみんないい
そんな耳障りの良い言葉で
済むのだろうか
一緒に何処かに行けるのだろうか

言葉一つじゃどうにもならなくて
あまりにも違いが大きすぎて

途方に暮れる

答えは
一人ひとりが出すもので
私が答えることはないけれど

あくまで個人の見解の一つに過ぎないけれどと
お断りしておいて

全員が全フリして異なる人が集まって
みんな違っていいと
字面でうすうーくお題目みたいに言ってみるだけで
且つ
併存する集団なんてありえない

違ってもいいは
同じじゃなきゃだめ
よりは考えた結果だと思う

でも実際はそれだけじゃ

あっちをたてれば
こっちがたたず
お互いの利益が相反して
角と角がぶつかり合えば争いごとになる
一触即発に集団を構成するだけ

自分と違う他者を認めるって
そんな簡単なことじゃないし
心地よいことでもないし
どっちかと言えばめんどくさくて
気の遠くなるような繰り返し繰り返しの果てに
理解を積み重ねて
円と円の重なり合うところを
こういうやり方ならお互いに
一緒にここにいられるよねってところを
探し続ける
考え続ける
永遠のプロセスを伴ってる

美辞麗句で終わらせない本気なら
SDGsとか多様性とか
そんな砂糖菓子みたいな甘い皮でくるんでみせるんじゃなくて

その先の行動まで
一緒に考えなければ
甘ったるい砂糖菓子を舐めたら口の中に何も残りませんでしたってことになるんじゃないかなと思う
辛口な夜に





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?