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一周どころか

書けるのは自分の中でコナレタことだけだ

離婚した元夫のことも好きに書いてるようで
実際はここで話せることしか書いていないし

私が墓場まで持っていくって決めていることもある

自分の中でこの出来事がどういう意味合いを持っていると理解すればよいのか腑に落ちないこともまだ書くことはできないし

終わった恋のことは書けても

現在進行形の思いを書くことはできない

それは頼まれもしないのに個人情報御開帳して書くことは
自分自身を売り渡すことだと思っているから

FOR WHAT? 何に自分を売り渡す?

 ーFor Whatといえば絶対コレしかないやろ
  リアム・ギャラガー

別に誰からもお代は貰ってないけど笑
別に誰からも頼まれてないで勝手に書いてるだけだけど笑

書き残したいだけじゃない

表現したいと願っていて

それは冬の駅前の路上で
たとえ足を止めて聞いてくれる人が一人もいなくても
悴む手と縮む喉で伝えたいと歌う
ストリートミュージシャンと同じで

それは歌いたいんじゃなくて
誰かに届けたいと思ってやってることだと思うし

ひとりでマスカイてろよ

ジャポニカ学習帳の日記帳に書いとけよ

ただの露出狂かよって苦笑

突っ込まれるのもわかっているけど

それとはちょっとだけどダイブ違う

だって表現だから

プラットフォームが必要
舞台が必要
宛先が必要
レスポンスが必要

それじゃあ、ひとりカラオケになっちゃう苦笑

表現したいという欲と
人に知られたくない自分だけのものだ
という欲を天秤にかけて
表現の神様の供物に捧げている感じ

そう簡単には書くことはできない
なかなか似合う言葉が見つからないから

ずうっと考えていたことに
今朝自分なりに答えが出たなあと思って嬉しかったことがあった

毎回枕が長えんだよな
この噺家さん
いやnoterさん

いや物語の細部にリアリティは宿るじゃない?
だから端折って起承転結
ハイできたとはいかないのよね笑

私の文章は遅漏だって
時間が必要だって笑

ロシア文学だってさ
延々と黒い森の描写から入るじゃないのさ
なかなか主人公1ページ目には現れてこないよ笑

赤毛は公私の区別つけるのが苦手で
とくにこの仕事を始めた直ぐの頃は
生身の身体と心で当たって砕けていたので
半年でボロボロになって
『枯れない泉はないんですかああ涙私の泉はもう枯れてしまいましたあ』
と先輩に泣きついて、まあまあ今夜は飲みねえとキムチ鍋で慰められた苦笑

その後も順調に様々な人や出来事に直面するたびに
タイタニックみたいにドオオント正面衝突しては
感情を燃やし尽くしてバーンアウト

『もうこの仕事は続けられません!明日から〇〇さんを支援する自信が私にはありません!!』と上司に泣きつくと

『辞めたきゃ辞めちまえ!お前は仕事を辞められる!いいよな!仕事ならいくらでもあるだろ!でも障害の当事者はこのボロくて小さい事業所しか行くところがないんだぞ!そういう人を置いていくってことだからな!』

『ヒック』しゃっくりが止まる音

売り言葉に買い言葉というのか
今はこんなのパワハラになっちゃうのかな苦笑
正直な部下で、正直な上司だったと思う

そのあと、一緒に来いと言われて
うなだれて車に乗せられて連れていかれたのは

近所の保健所の相談室

『いやあだあ、赤毛ちゃん。あたしアンタの子供の地区担当保健師だけどさあ、作業所職員の個別相談までやってないわよ~保健士だって忙しいのよお公益性もあるしさあ、でもしょうがないわね、これも縁だから、特別よアンタ。で、どうしたのよ、今日は?』

上司が保健相談のプロ、保健士に面談をセットしていてくれた。

『あの、その、仕事が辛くて……』
ツラツラと相談する。吐き出してしまえば半分は解決したようなものだった。

今年の初め大病で倒れたのも

もしコロナの感染者を施設から一人でも出したら、もし自分が感染を持ち込んで施設内で広まって、もし、もし基礎疾患をもって年齢も高い利用者にもしものことがあったら、責任をとれない。どうしよう。

そのループする恐怖に、開所するという基本的な機能自体が怖くて怖くて逃げだしたい気持ちを抑えて3年近く毎日仕事に向かっていたのが、限界まで張りつめてパアンと破裂したのがクモ膜下出血だったんじゃないかなと自分なりには振り返っている。

毎回毎回どうしてくらってしまうのだろう
その度に適切なアドバイスはもらってきた
経済として割り切るように
仕事として割り切るように
感情で仕事をしないように
理論が足りないんだと思って社会福祉士の勉強も通信教育で修めた
同僚に任せるように
1人で抱えないように
周りに相談するように

勿論その通りで
何も福祉職に限らず働くうえで必要なことだと思ったし
自分なりにありがたく受け入れてきた
だからバキッとは折れずに細々とだけど続けてはこれたと思う

でも芯のところは変わらないなと
自分では思う笑

ふと吉田麻也選手を見ていて思ったのだけど(唐突)
彼がゴール前を守っているけれど
守ることの引き換えに彼は何も失わないかというと
そう都合よくは行かないと思う

身体を差し出しているし
痛みも引き受けている
プレッシャーも引き受けているし
最終ラインというリスクを背負っている

何かを本気で守ろう護ろうとするときには
何かを供物の捧げるのは当然だ

私はオシャカ様にその身を捧げたウサギの話が大好きなのだけど
捧げるものが無いときは自分の身を捧げるだろうし
それは美談とかじゃなくて
現実そうなんだと思う

捨身月兎

私の働く場所は、
脳梗塞や交通事故で突然に日常と
それまでの動く身体や機能した脳を失くした方の
利用する場所だ。
私の仕事はその場の日常を守ること
一度失くした日常の後に再び編みなおした日常が
再び揺らぐことがないように
いつもと同じ明日が来るように、また明日とお送りする場所

なんで毎回食らっちゃうのかなあと思っていたけれど
私自身がここは本当に大切だと思って守っているのだから
その為に何かをなくすのもむしろ当然だということが
15年くらいかけてやっと腑に落ちた(遅っ)

何で失くすんだろうじゃなくて
いいんです、失くして
という反対側に回ることがやっとできた笑

さらに言えば失くしたと思っているようなこと以上に
皆さんと過ごす日々から
タイムレスでプライスレスなギフトをもらっていることも
私は知っている




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