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farewell

また明日~と言って手を振って
送迎バスで帰宅する利用者さんを笑顔で見送るとき
無邪気に明日を信じている
また明日が来ることを
その人がまたバスに乗って姿を現すことを

繰り返すことが当然の日常
疑いもしない

けれども

その方は今日姿を見せなかった
昨日の夜に階段から転げて
そのまま帰らぬ人となった

先週から今日まで三人の方の訃報にふれている

去年身をもって別れのなんたるかを体験したくせに
喉元過ぎれば熱さを忘れるアホ赤毛

油断しくさって
さようならと
ただの形骸化した季節の挨拶みたいに口にして
その事実が等身大にその身にやってくると
恐れおののいてチジミあがっている

比べるのもお門違いだけれど

例えば恋をしているとき
別れにはもっと敏感だった

例えば彼が離れて旅の空の下にいるとき
例えば休みがあわないとき
例えば仕事が忙しいとき

なかなか会えない人にやっと会えたとき
そして会ったその瞬間から
別れのカウントダウンが始まることを知っていて

別れは耐え難く去りがたく
断腸の思い

予定通りにやってきたその時を
恨めしく睨みつける

可能な限りの最後の瞬間まで
体温を感じていたいと

雑踏に消えゆく後姿を見送ったり
何度も振り返り視線を合わせて
泣き笑い

電車が駅について先に降りる人の背中を見送って
繋いでいた手をほどいて
その手を追いかけて電車の扉近くまで駆け寄る
後ろ手に彼が伸ばしたその手のひらを
四百メートルリレーのバトンみたいにタッチして
すがるようにして握る

リリリリリリ
発車のベルに
断ち切られて手を放して
空っぽになった自分の手を見つめながら
その手を今度は彼に向かって小さく振り続ける
何度も何度も

乗り換えの上り階段に消えゆく姿を目で追いかけても
身体は違うベクトルに引っ張られて
ガタンゴトン窓の外は暗闇に包まれる

別れの数秒に
自分がどれだけ会えるこの時間に賭けてきたか
楽しみにしていたか
そしてその時間はもう終わってしまったかを
思い知らされて茫然自失

会うことと別れることを表裏一体

痛いほど

合わせ鏡みたいに分かっていたのに

それが演繹できたのは恋だけなのかと
やっぱりアホだと情けない赤毛だけど

亡くなるその時まで
生ききったその方の人生を
他人がどうのこうの
私たちはコメンテーターじゃない
講釈垂れるのは違うと思う

明日を信じて無邪気に手を振りあって別れることも

次にいつ会えるか分からない別れの意味をかみしめて
手を放しがたいことも

どちらの別れも
その人との距離感が違うし
毎日を月に帰るかぐや姫みたいに今生の別れと思うのも
平熱と恋の病の温度差あるから違和感だ

ただ別れが続いてみて思うのは
日常の中にも別れは息をひそめているし
年を取ればその足音も聞こえるし
影も濃い

別れのセレモニーは生きて遺された人たちのためのもの
これ以上皆さんを連れて行かないでねと
夜の空に祈る





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