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自分には、大義がない

いきなりですが、皆さんは仕事や人生の中での大義はありますか?

タイトルにもありますが、今の自分には大義と呼べるものはないと思っています。「必ずしも大義が必要なのか?」という考えもありますが、一種の憧れのようなものでいつか持てるといいなと思っています。
(このnoteはそんな大義に対する個人的な考えをただつらつらと書いたものです🙏)

大義に向き合う

大義 = 世の為につくすべき道

今現在は大義を持っていないですが、昔からなにかしらの事業を作りたい(携わりたい)と考え、仕事ではクライアントワークの中で様々な業界のデジタルサービスの立ち上げやグロースなどの企画、デザインに関わってきました。

今は、Goodpatchというデザインの会社で、会社のビジョン・ミッションに向き合い、クライアントワーク事業の運営に関わるDesignOpsというチームで働いています。

GoodpatchのVision/Mission

最近よく考えることは、「この先自分がより長期的に関わっていきたいと思う事業やサービスはなにか?」ということです。
クライアントワークでは、一つのサービスに2年や3年と長く関わることが難しいこともあります。一方でさまざまなドメインの事業に関わる機会があり、そういった面では魅力的な事業とも言えます。
自分自身は、クライアントワークで長くキャリアを築いてきたためか、このドメインのこういった事業をやりたい!という思いが薄く、どんな事業でもその事業に関わるデジタルプロダクトを通しものづくり自体の面白さに惹かれ働いてきました。「ただただ、いいものを作りたい」「ものを作ること自体が楽しい」といった感じでとても単純です。
何か大きな志を持ち「社会や使うユーザーの〇〇という課題を解決する事業を作りたい、携わりたい」という大義は自分の中にはなく、そういった面でもクライアントワークという事業特性はあっており、いわゆる事業会社で働くという選択肢を選ぶことはしてきませんでした。

大学時代にデザインに出会い、デザインの面白さを知ってから自分の中でなにか救われた感じもあり、今の会社のビジョンやミッションに対してはなにの抵抗もなく素直に向き合えるものです。
ただ、デザインという概念が広い特性上、「これが自分の大義なのか?」と問われるとそうでないと思っています。あくまでデザインはなにかを良くするする手段であり、「デザインで〇〇な課題を解決する、よくする」など何かしらを前進させる対象が必要だと思っており、その〇〇が自分の中では抜けていると思っています。

大義はどうしたら見つけられるのか?

大学時代の就職活動のように、はじめからやりたいことが見つかっている人は稀で、就活を進める中で「事業内容に少し興味を持った」、「共感できる企業に出会えた」ということからファーストキャリアが始まり、「気になる仕事→やりたい、やりがいを感じる仕事」に変わっていった人も多くいるのではないでしょうか。
大義もまたそれと同じではないかと考えています。大きな出来事があり見つかる人や自然に生まれる人は極一部で、さまざまな仕事やさまざまな環境の中で多くの経験をする中で、まずは、大義のカケラとなるものに出会い、そのカケラを深めり、磨いたりしていくのではないかと思っています。

大義のカケラを探す🔍

大義のカケラは、今まで自分が経験してきた中にもあり、忘れられない仕事であったり、気がついたら考えてしまうことだったり、思い出してしまうこともまたカケラにあたるかもしれません。
最近自分自身でも大義までは行かずとも「自分の中にそのカケラはあるのか?」と考えていまいた。

ちょうど息子が小学生になり、新しくさまざまなことを学び挑戦することもあり、自分も何か新しいことを始め子供と一緒に学んでみようと思い、今年の4月ころからアプリ開発を始めてみました。
作ったアプリは子供が学ぶ算数で「たし算」や「ひき算(実装予定)」が出来るような簡単なもので、子供と外出したときの待ち時間などに気軽に楽しく学び続けられるものという考えで作ってみました。
(技術力がひよっこなのでデザインも機能もとてもシンプルです)

アプリを作っていく中でふと昔のことを思い出すようになりました。

私の両親は共に小学校の教師でした。
運動会や音楽会などの学校行事は基本的に市内で同じなので、もろかぶり親は参加することができず、平日は家に帰ってもテストの丸付けや土日も学校にいき仕事をしたり、学期末は通知表をつけるのに追われ夜遅くまで働く姿を身近で見てきました。(今では持ち帰りは禁止されていそうですが・・・)
一方で、夏休みは両親の学校にいっしょに出勤?することもたまにあり、自身の学校ではない場所で宿題をしたり遊んだり、親の同僚の先生たちと関わることもあり、それはなにか不思議な感覚で自分の中ではとても好きな時間でした。

大変な面だけでなくいい面もあったのですが、大変な面の思い出が多く、自分自身の進路を選ぶ際は教師だけにはなりたくないと正直なところ思っていました。
ただ、働き始めてからその思いに少し後ろめたさが生まれるようになりました。というのは、教師という仕事は、身近で感じていただけでも大変な面が多く40年近くその職につき引退した今でも教育や子供に関わる仕事をしている両親の中には、何かしらの大義を持っていたんだろうなと思うようになりました。
そういった何かしらの大義を理解や想像をせず目を背けてしまったことへの後ろめたさが少しありました。
デザインやデジタルに関わる仕事をしていて、うまく使えば大変な教育現場や教師の方々をサポートするようなことはおそらくできたり、少なからず軽減できる方法を考えられると思っています。

今はまだ大義ではないですが、教師の仕事を親を通し身近で見てきた自分だからこそわかることがあるように思い、少し向き合ってみたいなと思っています。
今すぐなにかというわけではなく、今回作ったアプリのように家で楽しく勉強してもらうものや教育現場で教師が子供に向き合う環境だけでなく、親と子供がいっしょに学ぶみたいなものなど、直接的でなくても、もっと広く教育現場や教師の方々に間接的な形でも関わることができるといいなと思っています。行く末はそれらに関する企画やアプリアイデアを考えられるといいと思います。

ちょっとしたまだカケラにもなっていないものですが、それに向き合うことで大義につながるような気もしており、まずは自分が動けることを行ってみようかと思っています。

大義のカケラを集める、磨く✨

見つけた大義のカケラのようなものはそのままにしていても経験上、変化が起こることはまずないと思っています。
まずは、そのカケラのようなものの周りの情報にふれることで、近しいカケラや自分が見つけたカケラを磨くことにつながると考えています。
情報は、本やネット情報、SNS情報でもいいと思いますが、特に重要なのは一次情報になると思います。ここで言う一次情報とは課題を持っている当事者の話を聴くことを指しています。
自分自信の原体験だけでなく、より課題感を持っている人に話を聴き課題を深めたり、自分が持っていた課題を広げたりを繰り返すことでカケラ自体を集めること、磨くことにつながっていくと考えています。

お願い🙏

個人的な考えとしては、子供の教育や学習は学校で教師の方々だけが向き合うのではなく、親も含め子供と日常的に関わる人たちで分散的に行える環境を構築できることがベストだと思っています。
今月文科省がギフテッドの子供たちに対する支援を事業化に向け予算を盛り込んでいましたが、教育現場で教師の方々がカバーする専門領域は年々拡張し、限界をすでに迎えているようにも思います。

向き合うべきところは多方面にあると考えていますが、まずは身近な親と子供の教育や学習に対する関係について向き合ってみたいと思っています。

そこで、もし小学生のお子さんがいる方で子供の教育や学習での悩みや考え方などをまずは広く聞かせてもらえると嬉しいなと思っています。
また、年長や小学校1年生のお子さんがいる方はアプリ(iOS)の方も使ってFeedbackや感想、要望を頂けるとそれも嬉しいです。


  • さんすうアプリ(対象年齢:5歳〜7歳)
    広告なしのたし算、ひき算(実装予定)アプリです。iOSのみですが下記よりDLお願いします🙏

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