研究ってこういうことなんだ|やわらかな知性/野村亮太
図書館でたまたま見つけた本。
やわらかな知性 認知科学が挑む落語の世界 野村亮太
落語が好きなのと、「柔らかい」とか「しなやか」という言葉に弱いので借りてみました。
野村亮太さんは、早稲田大学人間科学学術院の准教授さん。
過去の業績を見ると、論文だけではなく、一般の方向けの著書もあります。
例えばこちら。
本書(やわらかな知性)もとっても読みやすく、予備知識のない方にもわかるよう、随所にちょっとした解説があり難なく読み進めることができます。
(さらにいうと、論を進めるのに、少し前に触れた関連することを再度解説してくれるのも、ニワトリ頭にとってもありがたい)
書かれている内容もこんなん解説して野暮ね~、なんて思いつつ、知っている事象を取り扱っているので興味深い。認知科学の手法で落語とは何かを問う研究成果がまとめられた本です。
本書は、研究成果だけではなく、研究にあたって著者の感じたことやちょっとした愚痴のようなこと、取りようによっては言い訳のようなことも記載されています。それがまた人間臭く、著者の人柄が伝わってきて飽きさせません。加えて、それらを読むことで、「研究ってそういうものなんだ」と気づかせてくれる箇所がいくつもありました。
例えば、論文審査の査読のところでは、棚上げについて紹介されていました。
当然のように、「熟達者を定義しなさい」とか、「せめてその人を選んだ理由を挙げなさい」と要求されるのです。(略)
熟達者を定義できているのなら、「うまさとは何か」ということも定義できているはずです。しかし私は、「うまさとは何か」を知りたいと思って研究をしているのですから、堂々巡りになってしまいます。
「うまさとは何か」の定義問題を避けながら研究を進めることができる、一つの解決策は第一人者を対象とすることです、こうすることで定義をいったん棚上げにすることができます。
棚上げというと、いぶかしがる方もいらっしゃるかもしれませんが、じつは学問体系が十分に確立していない分野では、問題発見の方法としてよく行われています。
棚上げというのは、ビジネスの世界でも使われますよね。棚上げにしたり、とりあえずの仮説を設定して検討したり。
研究というと緻密に下から順に積み上げていくイメージがありました。しかし、そうもいかないときは、棚上げする。そして進める。そうやって、途中からでも積み上げていくことで、棚上げしたこともわかってきたりする。そんな工程を経て、研究というのは進められてきたんですね。
落語を研究する場合にも、「落語のうまさ」が定義できないからといって立ち止まるのではなく、研究を進めることで、新たな捉え直しが起こり、さかのぼって研究知見が有する意味がわかる、ということがありえそうです。
何かというと、できない理由ばかり見つけてしまって足が止まりがちな私も、うまくこの棚上げスキルを活用してみたいものです。