庶民・私、442年ぶりの天体ショーを味わう
夜、442年ぶりの天体ショーがあると知ったのは当日の朝だった。
朝のニュースで知ったけど、「あ、そすか」ってなもんで、心は会社や日々の雑事から来るストレスでいっぱいで、天体ショーどころじゃなかった。
といっても、一つ一つは大したことじゃない。電話を取らない後輩、突っかかってくる局、見ないふりをする上司、妬み嫉みオーラ満載の先輩、傲慢さに気づいていない後輩、返事をよこさない執筆者、入稿開けに早いもん勝ちでテレワーク予定入れる同僚たち、連日の夕飯準備、狭い家での夫との諍い、連絡をよこさない弟、、、些細の積み重なり。
特にこの日は編集部は私一人の出社だった。入稿開けにさっさと休む皆よりも、自分の要領の悪さに怒り心頭だったのだった。
心を無にして一人残業していたら、ごみ回収スタッフの女性に「わりとはっきり見えるわよ。出て左の空ね」とにこやかに言われた。そこで月食のことを思い出して、片付けて帰ることにした。
会社の外、言われた方角の空に、確かに欠けた月が浮かんでいた。電車を降りて自宅に帰る道すがらも続いていて、空を見ている人があちこちにいた。若いお父さんがちょっと興奮気味に、息子に教えていた。「天王星、天王星が下に隠れるっていうのが特別なんだよ」
自分も含め、スマホに目を落としてばかりいる私たちが、この日は空を見上げていた。月はだんだん黒くなっていく。(写真は下手でうまく撮れませんでした)
夫も帰ってきて、マンションの通路からちょっとだけ一緒に見た。普段交流のないお隣さんも出てきて、家族で見ていた。なんとなく挨拶した。
皆既食と惑星食が同時に見られるのは1580年以来442年ぶりで、次回は322年後の2344年。1580(天正8)年とは、織田信長の時代。調べたら、「イギリス船が平戸に来る」「スペイン王フェリペ2世がポルトガルを併合」、その2年後に「大友・有馬・大村の三大名が少年使節をローマ法王のもとに送る」。
そのころの人は、天文学だって進んでなかっただろうから、ふだん数週間かけて満ち欠けする月が突然、数時間で欠けてまた戻るなんて、結構ざわついたんじゃないか。
そして天文学も情報も発達した442年後、再び皆既月食を見た現代人の一人として、なんかスマンという気になる。電話取らない同僚にイライラ、くさくさしながら、退社帰りにちょっと見るとか。なんか、さえない。ロマンがない。
それでも、442年前、そういう日々の雑事にまみれて空を見上げるどころじゃない、私と同じような庶民だってたくさんいただろう。322年後の2344年の人はどんな感じでまた天体ショーを迎えるのかな。こういう些細なデジタル文書は、庶民の記録として後世に残っているのかな。
などと考えていたら、いっとき雑事を忘れた。ロマン、感じた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?