2020年6月

6月。あいかわらず長くて、でも短くて、ひさしぶりに友達と会えて、でもまだ全然会えなくて、楽しいけどもどかしい、そんな感じの月だった。あいかわらずオンラインで授業を受けて、ゲームして、勉強して、飲んで、課題して、ゲームして、飲んで、飲んで。の繰り返し。居酒屋で適当にまとめの文章を付け加えて期限ギリギリに出したレポートはS評価で、特別がんばった課題はB-評価だった。人生しょうもな、で片付けたわりにはなぞのショックを引き擦って、また次の飲み会で荒んだりした。

6月が終わることはなんとなく、そうだな、6月の20日を過ぎるくらいには気付いていたと思う。でも「6月がおわるよ」が「今年の半分がおわりますよ」の対訳だってことに素直に気付ける人はきっと人生のプロ。わたしは、しいたけ占いの2020年下半期記事が出た6月末の日にやっと気付いた。そのときに少しだけここ半年間を思い返したけど、特別心を動かすようなものすごい感想が出てくるわけでもなく、こんなに旅をしなかったのは上京以来初めてかもしれないな…というのがステイホームでなまった脳で絞り出した感想の限界だった。

そういえば、騒がしい旅をしたタイから帰国してから100日が経ったらしいことも先日うちのSiriが教えてくれた。退化した人間の代わりに機械は進化したらしい。昨年度の旅のエモいが詰まった写真をハードディスクに整理してたら朝が来てたみたいな日も今月はすごく多かった。そんな日はきまってカオサンロードのおっちゃんがタイ訛りの日本語で出してくる超不味いカクテルが飲みたくなって、代わりにベトナム土産のよくわからないドラゴンフルーツの酒瓶をあおったりした。ひとりで飲むお酒はあんまりおいしくなくて、自分は酒を飲むことが好きってよりかはみんなで飲んでる時間が好きなんだなとやっと気付いた。

考えてみれば、去年もおととしも月イチでプチ旅行に出かけていた(社員並みに稼いでいた大学1回生時代の自分には頭が上がらない)。何かに縛られるのが嫌いで自分の日常からすらも解き放たれたくて、ずっと旅を逃げ場にしていた気がする。今年の上半期で意外とどこにも行かなくても全然なんとかなることはわかってしまったけど、それが「普通」になってしまった自分を褒めたらいいのか、逆にもっと成長しろよと言えばいいのかわからなくて、「こんなご時世だから仕方ないよね」を合言葉に大事な思考を放棄してしまっている気がして、急に怖くなったりもした。

7月がくる。2020年後半戦がはじまる。もうすぐ、お世話になっている会社のインターン生になる。8月からは尊敬する先輩と新しいことをはじめる。旅も少しずつ再開するだろうし、友達とおでかけする週末も戻ってくる。だけどきっと、そこにはこれまでの当たり前はないんだろうと思う。オンライン化、ICT化、テレワーク、どんどん更新されていく世界のなかで、ちいさなちいさな歯車を回していく自分はいまある日常で何を守るか、手放すか。もういっそこのままでいたいなんて贅沢な欲望は叶わなくて、時間とともに想像していた理想の自分が遠ざかっていくことに焦って、せわしない感情を全部同時に処理できるほど自分は器用じゃないけど、きっと考え続けることはできる。

とりあえず、じぶんらしいじぶんでいたい。なにをするにしても、だれといても、どこにいても、ずっと思ってること。だれかに左右されたりせずに、じぶんらしく笑って、じぶんにしかできないことをする。

「こんなご時世」のせいで最近はめっきりじぶんらしさがわかんなくなっていた気がして、昨日ひさしぶりに投稿したインスタにはこんなことを書いた。

『でもよく考えたら創作意欲みたいなものもガクンと落ちてて、もしかして強くなったんじゃなくて心が死んでるだけなんじゃないかとか思うと急に怖くなったりして。些細なことでクヨクヨしてたあの時のほうが自分らしかったんじゃないかとか、しょうもないことで一喜一憂してた情けない秋頃のほうがよっぽど人間らしかったんじゃないかとか、いまになってそんなこと思ってもさ』

2020年もあと半分、すこしはクヨクヨする後半戦にするときめた。たのしい夏がくるぞーー!!!

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