性別の違和感から不登校になった中学時代の話

中学二年生の時、第二次成長期が来て自分の体が変化していくことに漠然と不快感があった。

気づいたきっかけは本当に些細なもので、風呂に入ろうと洗面所の鏡に映る自分の体を見た時涙が溢れてその場にうずくまってしまった。リビングには当たり前に家族がいて声を出さないようにしながら訳もわからず泣いてしまって、ただただ自分が気持ち悪くてなんで気持ち悪いのか分からなくて、自分に自分で戸惑って、答えを探すかのようにインターネットで調べた。

「性同一性障害」「LGBTQ」「Xジェンダー」色々な言葉が出てきた。自分は自分の持つ体が嫌だ。それは間違いなくて、でも自身の体とは異なるもう一つの性になりたいのか?と自分に問いかけるとなりたいとは思わなくて、どちらの体も性も自分にはしっくりこなかった。それで導き出した答えはXジェンダーだった。今になって考えるとその時から正直Xジェンダーもしっくりはきていなかったように思う。でもその時の自分は男か女かのどちらかではないこと、自分の存在(性別)に名前がつかないことが凄く不安で怖くて、だから無意識の内に一番近いと思ったXジェンダーという答えを出した。

翌日母親が仕事に出た後、学校に行かなきゃと考える頭とは反対に脚は動かなくて、気づいた時にはまだ寝ている父親を起こして泣きながら自分の体が気持ち悪い、学校に行きたくないと話してしまっていた。結局その日は学校を休んだ。父親の気遣いだったか、自分が頼んだのか覚えていないけれど母親にはすぐ話すことはできなくて、学校を休んだことも秘密にした。いつだったか、母親は子供を産むとき女の子が欲しかったんだという話を聞いていて、聞いた時はふーんくらいにか思っていなかったその言葉がその時の自分にとってはすごく重くのしかかってしまって、誰も悪くないと頭では分かっていても罪悪感を感じて仕方なくて母親に打ち明けることはできなかった。しばらくしてから母親に打ち明けることはできて、「性別なんて関係なくあなたの事が大好きで大事」だといってくれた母親には申し訳ないが、何故だか昔も今もずっと罪悪感だけは消えずに残っている。

学校は時々休んだり、午前中だけ登校したりしながら行っていたのだが、だんだん行かなくなって不登校になってしまった。一度気づいてしまったら嫌でもそれを意識してしまって、お風呂、トイレ、着替えなどの自分の体を見てしまうような日常の些細なこと一つ一つが苦痛になって一日に何度も自分への嫌悪感で押しつぶされそうになって、それを毎日毎日耐えるしかなくて自然と心はすさんでいった。

不登校になっても放課後に時々手紙を取りに行ったりしていて、その時は制服のスカートが嫌だったから学校のジャージを着て行ってたのだが、部活中の同級生など見かけたクラスメイトからなんで制服じゃなくてジャージなのか?という疑問が浮かぶのは当然のことで、直接言われたわけではないけれどなんとなく自分はそれを感じ取っていて、人の視線が怖くなってずっと下を向いて歩いていたのを覚えている。何も気にせず軽く事実を話してしまえば良かったのかもしれない。でもその時の自分が恐れていたことは 事実を話して何かが変わってしまうこと だった。別に否定されるんじゃないかとか考えていたわけではなくて、周りからの認識が「女の子」から「体の性と心の性が一致していない子」に変わることによって今まで通りの何かが変わってしまうんじゃないか、何らかの形で感じることになるであろう優しさや気遣いが凄く嫌だった。いつも通りでいたかった。だから事実を話すという選択をその時の自分はできなかった。

そんな自分に対し担任教師は「制服の布が肌に合わないんだというような説明をすることもできるよ」と提案をしてくれた。気遣ってくださったのは素直にありがたいと思った。だけど自分はその提案に首を縦に振ることはできなかった。何故なら嘘をつくのが嫌だったから。もちろんそれは自分を守るための言い訳で必要な事かもしれない。それでも嘘だけはつきたくなかった。騙したくなかったし、嘘をつかなければいけないことだと思いたくなかったから。嘘つかなくても自分は自分だと主張していいと信じていたかったから。自分に対しても嘘をつきたくなかったから。かと言って事実を話す勇気があるわけでもなく、実際そういう説明をしておいた方が周りにも自分にもきっと良いんだろうと思うとちゃんと首を横に振ることもできなかった。(感情や思考が矛盾しまくってる)

多分そういうどっちつかずの態度が良くなったんだと思う。後日担任教師から「肌に布が合わない人もいるんだよーとちょっと話しといたよ」と告げられて頭が真っ白になった。自分は一切そのように説明してほしいとお願いをしたことはなかった。嘘をついてしまった、どうしよう。どうしよう。軽くパニックになってすぐに撤回してほしいとお願いすることすらできなかった。担任教師との会話が終わった後、保健室の先生と会う約束があったためとりあえず保健室に行った。自分の事情を知っている先生で、その時には落ち着いていたから話の最後に相談してみた、「担任の先生は善意でやってくれたことなのは分かっているんだけれど、嘘をつくのはいやだから撤回してほしい」と、保健室の先生は「それは嘘じゃないと思うよ、あなたのためだと思うよ」そう言った。その通りだからその言葉を否定はしなかった。ただ、それを嘘だと思うかどうか、嫌だと思うかどうかは自分の問題だと思ったから再度伝えた。「そうかもしれないけど自分は嫌なんです」と、でも何度同じことを伝えても返ってくる言葉は同じことばかり、先生方の考えを聞いているわけではなくて、自分の考えを、自分の気持ちを伝えているのに何度も何度も嘘じゃないと思うよと返されるとだんだん自分の考えが間違っていると言われている気がしてきて、心が殺されていくような気がした。下校時間を過ぎる頃にはもう疲れてしまってこの話は保留という形でその日は帰ることになった。帰り道頭がぐるぐるした。泣きながら呼吸が乱れながら話したのに、「自分は」と何度も言ったのに あぁ、あの人には伝わらなかったんだなぁ。 そう思うとすごく悲しくて悔しくて、苦しいのを抱えきれなくなって母親に相談してしまった。その時本人がいないからか、気づかないふりをして抑えていた言葉がでてしまった「正直死ねばいいのにと思ってしまった」と、友達とふざけていうようなものとは全く別の、ただ純粋な殺意だった。
そんな感情を抱いた自分が悲しくて嫌でこれ以上自分が直接話をするのはしんどかった。母親は自分の代わりに先生方と話をしに行ってくれて、後日先生方から直接謝りたいと呼び出されて話をした。正直罵倒してやりたかった。死ねともいってやりたかった。自分にとってはそれくらい心を殺される感覚が苦しかったから。
でも口から出たのは「親に話して大事にしてすみませんでした」という言葉だけだった。惨めだ。思ってもいない建前をこんな時でもいってしまう自分が嫌だ。本音を言う勇気のない自分が嫌だ。自分で解決できなかった自分が嫌だ。首を横に振れなかった自分が嫌だ。死ねと思った自分が嫌だ。この出来事にずっと囚われいる自分が嫌だ。
この出来事をきっかけに自分は少し人間不信気味になって、以前よりもずっと学校に行くことが減った。

そんな自分を唯一繋ぎとめたのが美術部だった。昔からずっと中の良い友達が居て、部活に行くと喜んでくれたり、何も気にしていない様子でいつも通り馬鹿な話をしてくれる。顧問の先生も大好きだった。おじいちゃん先生なのに学校にいる誰よりも明るくて元気で、美術部員一人一人を本当に大事にしている方で、いつでも歓迎してくれた。冗談交じりなのか、本気なのか分からないけれど、あなたの居ない美術部は○○のない△△だなんてよくわからない例えを出されて、なんだそれと、クスッと笑う自分が居て、家も学校も窮屈だった自分にとってここだけが唯一居場所だと思えた場所だった。

三年になってからは同じクラスに理由は分からないけれど同じように不登校になった友達がいて、その子と一緒に給食だけ食べに行ったり、一時間だけ授業を受けたりして徐々に学校にいる時間を増やして卒業が近くなった頃には一日中学校に行けたこともあった。

卒業式には出るか悩んだ。制服はセーラー服と学ランだったのだが、自分が三年になった時の一年生の代から制服がブラザーに変わり、女子はスカートかスラックスを選べるようになっていた。ほんとになんでその代からなんだよおせぇよと思ったけれど、ジャージよりは目立たないからという理由で自分はその新制服を着用していた。あと一年だけなのに決して安くないお金を出して新制服を買ってくださった母親には感謝してもしきれない。
新制服を買ったということはつまり、卒業式に出たら周りがみんなセーラーか学ランなのに対して一人だけブレザーというほんとに異端、目立つことになってしまうから正直出たくなかった。でも結局出ることにした。友達と写真を撮りたいからなんてそれらしい理由を並べたけれど本当は親のために出ることにした。親のためになるかなんて分からないし、自分のエゴでしかなかったけど何回も自分のことで悩んだり落ち込む親を見たし、沢山迷惑をかけていて、それが自分は嫌だった。もちろん感謝しているし、迷惑だと思ってた訳じゃない、でも、自分のことで親が悩むのは違うだろ、自分の問題なのに優しいあの人達が悲しくなったりするのは違うだろと思った。多分親はそういう生き物なのかもしれない。けど自分は親のことを親以前に一人の人間として見ているからか、嫌だった。改めてほんとに自分のエゴだなと思うけど、少しでも良かったと思ってほしかった。自分は不登校になって学力はほぼ0だし失ったものもあったけど、だけど自分はそれ以上に学べたことがあったと思うし、心の底から不登校になって後悔はないと、良かったと思っているから親の気持ちが少しでもプラスに動いてくれればいいなと、そう思ってこれで最後だと、耐えて卒業した。

今も時々思い出してしんどくなる日があるけど、高校生になって環境が変わってからはわざわざ自分からいう事はないが、性別とかを隠すようにはならなくなったし、学校にもいけてる。(時々休むけど)
間違いなく周りの人のおかげだと思う。正直死にたい気持ちが無くなったわけではないけれど、とりあえず今は目の前の事をひとつずつ片付けてみようと思える。

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