テイラー・スウィフトと英米文学⑦ evermoreとエミリー・ディキンソン
テイラー本人がfolkloreの「姉妹盤」と呼ぶだけあって、evermoreもまた一冊の詩集のようにテーマやモチーフが絡み合いながら進んでいく作品です。
evermoreの個人的な好きポイントを一つあげるとすれば、アルバム全体が船旅に始まり船旅に終わること。
一曲目の冒頭では語り手である「私」や「あなた」が海や船に喩えられていてなかなか壮大な雰囲気を醸しながらも、アルバムの最後の曲に辿り着く頃にはただの人間として波に翻弄されながら懸命に生きようともがいているところがまさしく””人生””って感じでいいですね….。
ところで、『evermore』のリリースが発表されたのは2020年12月10日。
12月10日といえば、アメリカ文学史上屈指の詩人エミリー・ディキンソンの誕生日ですが、奇しくも『evermore』と並べて語られがちな名前です。
ディキンソンは1800年代を生きた女性詩人で、アメリカ文学を語る上では外せない人物といってもいいでしょう。
生涯を通じて約1800編の詩を書きましたが、そのほとんどは彼女の死後に出版されました。当時は女性が執筆活動をすることに対する社会的な偏見もあり、生きている間にその才能が世に知られることはなかったのですが、家族や友人に向けて、あるいは自分だけのために、書いて書いて書き続けた人です。
彼女は伝統的な詩の型にとらわれず、独特の文法と時に風変わりな語句を用いながら、自然や日常のちょっとした風景を描きました。
初めはさりげない描写に思えるのだけれど、詩を読み終える頃にはどこか人生の本質をつかれたような気にさせてくれます。それをわずか数行の短詩でやってのける凄さ、そして生死・恋愛・社会・自然と幅広いテーマを扱う多様さが彼女の作風の魅力だと思います。
こう書くとさぞ難解な詩なのだろうと思えるし、実際一読しただけで全てを理解できるようなものではないのだけれど、日常の切り取り方や言葉の選び方がシンプルながら予測不可能で、書かれた言葉を目で追っていくだけで楽しい作家です。
いわゆる「本当のメッセージ」みたいなものをあれこれ読み解こうとしなくとも虜になれる文章で、そういう点ではテイラーの作風とも似ているように感じます。
『evermore』というアルバムには、ところどころディキンソンの詩を思い起こさせる要素が散りばめられています。
例えば、タイトルトラックでもある『evermore (feat. Bon Iver)』。
“for evermore”と繰り返されるサビが印象的ですが、ディキンソンの有名な詩の一つにも同様のフレーズが出てきます。
ディキンソンはスーザン・ギルバートという女性と強い絆で結ばれていました。スーザンはディキンソンの兄の奥さんで、つまり義理の姉にあたります。この詩は語り手の「姉」に対する深い親愛を綴るもので、”Sue”はスーザンのことであると解釈されることが多いです。
“Forevermore!”と永遠を語るほどの二人の関係性についてはさまざまな推測がされており、ディキンソンの熱心なファンの中には、彼女がスーザンと恋愛関係にあったと信じる人も少なくありません。(注1)
『evermore』リリース後、そうした熱心なファンの間で、収録曲『ivy』がディキンソンとスーザンの恋仲を描いたものであるという説が囁かれるようになりました。
『ivy』の歌詞は夫を持つ女性が語り手となっており、夫ではない誰かに対する張りつめた恋慕を歌っているように読めるので、確かにそういう解釈もできますね。
この説は一部で熱烈な支持を受け、半ば自己成就のような形でドラマ『Dickinson』においてエミリーとスーザンのラブシーン後の挿入曲として使われました。ドラマのプロデューサー曰く、テイラーが直々に曲の使用許可を出したそうです。
ちなみに、このドラマで主人公のエミリー役を演じたのは、テイラーの友人でありBad Blood MVにも出演しているHailee Steinfeld。私はドラマは未見なのですが、特にHaileeの演技の評価が高く、かなり気になっています。
『ivy』は歌詞のストーリーもさながら、死を連想させる美しい表現が使われるところもディキンソンを彷彿とさせるなと思います。
三人称として"one"を使う第一声から、"brought forth"や"grand"と、古風な言葉遣いに溢れた『ivy』。まさにディキンソンあたりの時代を連想させる英語です。
『ivy』は、「魂と骨が出合うところ」や「信心も忘れられた世界」と死後(あるいは墓場)を連想させるような場面設定から始まります。(注2)
上の引用部分の後も、毎日墓へ通う未亡人、生きている恋人を「弔う」語り手、そんな恋人の「凍てつく手」…と全体的に冷たく静的な描写が続きます。(注3)
そして、語り手にとってはそんな静的な世界こそが恋人と過ごす桃源郷なのでしょう。
"My house of stone, your ivy grows, and now I'm covered in you"という歌詞では、語り手の「石の家」(=不動かつ不滅のもの、という比喩)にivy(ツタ)=恋人が生い茂り、二人の世界が完成します。
死後の世界にこそ愛があると言わんばかりのメランコリックなサビです。
悲しく、冷たく、古風で、しかしどこか惹かれてしまうような死の概念。
私が一番好きなディキンソンの詩にもそういう雰囲気があります。
この詩の中では「死」が紳士的に登場し、語り手を優しく死後の世界へと案内していきます。死ぬことへの恐怖は感じられず、むしろ穏やかで、家に帰るような安心感があるものとして描かれています。
実際に『ivy』がディキンソンの話かどうかは別として、テイラーは絶対にディキンソンの詩を読んでいるはずだと個人的には確信しています。(推しと推しが繋がっていてほしいだけのオタクの願望とも言う。)
邦訳は残念ながら持っていないのでおすすめは書けないのですが…岩波文庫から解説付きの対訳が出ているようなので、買ってみようかな。対訳は見開きで英語と日本語が載っているので二度美味しいと思います。
注1:念のため補足すると、これはあくまで推測であり、当然そうではないと考える人もたくさんいます。例えばマサチューセッツ州にあるエミリー・ディキンソン博物館の公式ウェブサイトでは、スーザンは「義姉にして親友」と紹介されています。現代の感覚からすれば恋愛対象の人に使うような表現でも、当時は親しい友人の間柄で使われることも往々にしてあったし、結局のところその関係性の真相は分かる由もありません。
注2:この部分はMiller Williamsの詩の引用でもありますが、この後すぐに未亡人が墓を訪ねている描写があることからも、墓場や死後の世界を表しているんじゃないかなと思います。また、「魂と骨が出合うところ」というのは墓そのものの説明としても読めるのですが、誰かに恋焦がれる気持ちは精神的かつ肉体的に感じるものでもあるので、そういう感情にもかかっているのかな…と思ったり。
Faith-forgotten landも同じで、「信心や信仰(faith)が置き去られた世界=死後」とも読めるし、「夫に対する忠誠心(faith)を置いてきた世界=恋人との逢瀬」とも読めるダブルミーニングなんだろうなと思います。
注3:3番では少し躍動的なバックコーラスが入るのに合わせて"Clover blooms in the fields/ Spring breaks loose, but so does fear (クローバーが丘で花開き / 春と共に恐れが解き放たれる)"と一気に動的な描写になる転換も好きです。"He's gonna burn this house to the ground (彼はきっと家を焼き尽くす)"と、ここまで登場した「雪」や「凍った手」の対比になるように「炎」のイメージも入ってきますね。
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