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認知症への恐れ

母が認知症になったとき
でも普段から天然だったし
しっかりした言葉もするし
それでも医者には認知症と
診断されました
まさか認知症になるなんて
思ってもいませんでした
私にはもっとしっかりした子
になってほしいが
口癖でしたから
認知症保険なんて入ってません
でした
そのすぐに忘れてしまうと言う
その症状は
私の子供は誰と誰だっけ
えいちゃんはわかるけど
みたいな症状でした
普段  人は興味ある事は
覚えているけど
興味ない事は思い出せませんね
それでも私の介護は
幸せそのものでした
母とテーマパークに行き
ジェットコースターに
乗って待っている母に
いつも手を振っていました
亡くなる前日まで遊んでいました
テーマパークに生えている
ヤシの木を眺め
これ大きくなったねぇ
えいちゃんが小さい時から
ずっと見ていたね
涙が出そうでした
このテーマパークは自分が
子供の頃にはなかったのですから
トータルしてずっと一緒に来ていたになっていたのです
いつもいつも楽しそうで
最高の人生の過ごし方をしているようで幸せでした
最後の前日急に寂しそうな顔を
してぐるっと見回しちょっと5時になるとカラスが山に帰って行きます
その数は空が埋め尽くされるほど
今まで見たことのないような数の
カラスの軍団でした
写真も一緒に撮ったけど
いつもは横並びに撮るのに
背中の方で笑ってる写真になってしまっていました
ジェットコースターの音に
負けないほど
えいちゃんありがとうって
叫んでいました
ハンバーグとか刺身とかは
箸で続くだけなので
その夜は大好きなうどんを食べに行きました
おいしかったと楽しそうに
車に乗って家路に戻りました
いつもよりしゃきっとしていて
まっすぐな目線を私に向け
それはすごく力のある目線でした
じゃあ寝るよおやすみ
次の日眠るようにこの世から去りました
自分にとってもなぜか
母と過ごしたテーマパークは
人生で1番楽しかった
しばらく放心状態が続き
忘れられなくても時は過ぎて
今になってせっかく親からもらった遺伝子活かしてやろうって
今頃思いついたんです
大脳を活性化しようと
自分の強み親が褒めてくれたことの
唯一は絵だけはうまかったでした
素敵な物語を作り絵を描き
今は作品作りに頑張っています
もう一つ自分のやった事は
認知症保険に入りました
認知症って診断されると
保険金が貰えます
母は入ってなかったので
いずれ自分もそうなった時のことを考えてそのお金で最近開発された
新薬を買って少しでも
回復し夢を持って人生を
最後まで忘れないように
自分なりの表現で
人の心を癒して行きたい
さあ
私の頭さん頑張れよ
と自分に言い聞かせて
長年思い続けてきた言葉
世のため人のため
そして自分のためにも
頑張っていきたいです。



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