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さようなら、ぼくたちの……(シン・エヴァンゲリオン劇場版 ひとまずの感想)

備忘録として。
一緒に観てくれた友人に送りつけた感想をそのまま。

↓↓↓↓↓当然ながらネタバレあり↓↓↓↓↓









「めちゃくちゃ良かった! 最高!」と言い切れるかどうか、まだ確信はないのだけど、ただ思い返したときに登場人物のそれぞれに対して「よかったね...!」という温かい気持ちがわくので、そういう意味ですごくよかったな...と思います。ちゃんと彼らを送り出してあげた感じ。

なんというか、シンジ君は「俺たちのシンジ君」じゃなくなってしまったし、アスカは「俺たちのアスカ」じゃなくなってしまった感じがするんだよね。そして、それでよかったんだと思う。
(Qの時点で、「俺たちのエヴァンゲリオン」じゃなくなってたんだ、という気もする。)
最後のシーン、改変後の世界でも、彼らがどういう物語を生きていくか、みたいな示唆はほとんどまったくなくて、ぼくらの手の届かないところに行っちゃった感じ。物語の制約から自由になったというか。リクルートスーツのCMにでも出てきそうな背中が、かえって印象に残ってます。

ああ、「さようなら」ってこういうことなのかな、みたいな。
あるべき場所に帰してあげる、もう「俺たちのシンジ君」じゃない、という。
だからまあ、ありふれた感想だと思うけど、シンジ君が大人になる物語というだけじゃなくて、「俺たち」が彼らを送り出してあげることによって大人になる物語/現実、なのかなみたいなことを思ったり。
彼らは彼らの現実を生きるし、俺たちは俺たちの現実を生きなきゃいけない。
そういうさびしさが残るよね。

マリがいなきゃいけなかった、というのもじつは完全に飲み込みきれてなかったのだけど、そう考えると確かになあと。
マリがいなかったら、シンジ君を迎えに行くのは「俺たち」になっちゃうんだよね。そうすると、シンジ君は結局物語の世界に閉じ込められてしまう。そうじゃなくて、ちゃんとシンジ君にとっての現実を開いてくれる人が、彼を迎えにいかなきゃいけなかった。
変な言い方だけど、マリは俺たちからシンジ君を奪っていった感じがするなあ、とも。
幸せにやっていけよな、としか言えないですね。送る側としては。

「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」というのも、エヴァを「なくす」んじゃなくて、エヴァと「別れる」ということなんだろうな、とか。エヴァが存在してしまったというのは、それこそもう「どうしようもない」。シンジ君の起こしたことが「どうしようもない」ことだったり、あるいはさらに考えてみると、「アヤナミレイ」がシンジ君に好意を抱くことが「どうしようもない」ことだったりするように。
だからそれは受け入れるしかない。エヴァをなかったことにはできない。だけど別れを告げることはできる。シンジ君はそれを選んだ。
「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」というのは、エヴァをあるべき場所に帰す、ということなのかなとも思う。そのあるべき場所とは、物語、虚構なのかもしれない。物語に別れを告げて、現実へ...
エヴァンゲリオンの物語はリピートしつづけるかもしれないけど、それは現実の時間とは別のもので。

本当に、ちゃんと別れを告げるための作品だったのだなあ、などと考えて、寂しさが募ります。
それほどまでに、ぼくは作品が終わってしまったことより、彼らと別れねばならないことが切ない気がしますね...

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