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AI絵師という人生の「積み上げ」放棄者たち

「積み上げる努力なくして、創作は語れぬのじゃ!」


はじめに

のう、みんな。今日もインターネッツの海では「わし、AI絵師でござる!」などとキャッキャウフフしておる輩がおるのじゃ。わしから言わせれば、その姿はあまりにも滑稽。積み上げてきたものが何もない者たちが、「創作」を名乗るとは、これいかに?

ここでは、AI絵師と呼ばれる者たちの滑稽さ、そしてその限界について語るのじゃ。あじゅラボの辛口トーク、覚悟して読むのじゃよ!


AI絵師とは何者か?

「AI絵師」とはの、AIが生成した画像をさも自分が描いたように扱う者たちのことじゃ。その特徴を挙げるならば、こんな感じかのう:

  • オリジナリティの欠如
    AIが出力した結果にちょっとした手直しを加えただけ。どこに自分らしさがあるのか、わしにはわからんのじゃ。

  • 学びの放棄
    筆を握る苦労もせず、ツールに頼りきり。「努力ゼロで結果だけ欲しい」など、甘ったれた発想なのじゃ。

  • 倫理観の欠如
    著作権問題や既存アーティストの作品を模倣している可能性にも無頓着。責任感という言葉を知らぬのじゃろうか?


なぜ滑稽に見えるのじゃ?

「滑稽」――。それはの、自分をクリエイターだと思い込んでいる者たちの勘違いが原因じゃ。以下にその理由を示すぞい。

  1. 創作の本質を理解しておらぬ
    創作とはの、自分の感性や想いを形にする行為じゃ。それをAI任せにするのは、創作の精神そのものへの冒涜と言えよう。

  2. プライドが欠如しておる
    自らが手がけたわけでもないものを「自分の作品」と呼ぶその姿勢。これでは、真のクリエイターには到底なれんのじゃ。

  3. 社会的な責任を放棄しておる
    AI生成に伴う著作権侵害や不正利用の問題。これに目を背けておる時点で、クリエイターとしての資格は皆無じゃ。


AI絵師の未来は暗いのじゃ

AI絵師が見落としている現実はこれじゃ:

  • AIが人間を超える日は来ぬ
    ツールはツールじゃ。人間の感情や創造性を模倣することはできても、完全に置き換えることはできんのじゃよ。

  • 価値のない作品は淘汰される
    AI生成作品が量産されすぎた結果、どれも同じような見た目になる。それでは注目されることもなかろう。


最後に言わせてもらうのじゃ

AI絵師たちよ。もし本気で「創作」を名乗りたいのなら、AIに頼るだけではなく、己の努力で道を切り開くのじゃ。

「ツールは使い方次第。道具に操られるな、己が操れ!」

あじゅラボからの辛口メッセージは以上じゃ。また次回、共に考えるとしようの!

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