あれれ、こっち側来ちゃったの!? -- 中国語の成語 「三十年河东,三十年河西」
前回、仕事で、「暗〜い人たち」と戦っている話を書いた。
余裕な感じの文章を書いてはみたものの、本当は不安で不安で仕方がなかった。いや、まだ現在進行形で、まだまだ不安だ。
多分話題的にも、ちょっと深刻なので、みなさんに読んでいただいてもコメントは書きにくいだろうなあと思っていたが、共感のコメントをいただくことができ、本当に嬉しかった。ありがとうございました!
その戦いとも関連しているのだが・・・
私たちの部署を露骨に「格下」として接してくる人たちがいる。”インテリ”の意地悪はいやらしいもので、暴言をはくでもなく、あくまでも笑顔と丁寧な言葉遣いで人をあからさまに侮辱してくる人たち。まるで彼らが「宗主国」で私たちが「植民地」のような関係だという比喩がぴったりの悔しい出来事が日々起きている。
その中の一人に私は最近も屈辱的な扱いを受けて、私なりに戦ったばかりだったのだが、先日驚くことがあった。
なんと、その人物が突如異動で、私の部署にやってきたのだ!
えええ!? 生涯「宗主国」の国民だと思っていたはずの彼が、ここにいるとは。しかも彼にとっては決して高くないポジションで。彼自身思いもよらない屈辱だっただろう。私だって信じられなかった。彼は権威ある「宗主国」で、私から見たら眩く羨ましいほどの出世の階段を登っていたからだ。
その彼が、今、私のところにいる。しかも似たようなポジションで。いやあ、皮肉なもんだ。今の部署ではベテランの私は、今度は、彼に仕事を教えてあげる日がもう来週にでも来そうなのだ。
この話を、仕事でお世話になった中国の親友に話した。彼も私たちの理不尽な上下関係を、私がどれだけ悔しい思いをしてきたかを知っていて、かつて一緒に戦ってくれた戦友でもある。その彼は、私の話を聞くや否や、こう言った・・・
「三十年河东,三十年河西」ですね。
三十年河東!? なに? それはこういう成語だった。
日本語的には、「浮き世は回り持ち」。世の中のものは常に変化をしていて、人の境遇や運勢の良し悪しは、交互に現れる、ということだという。
ここでいう「河」は中国の黄河のこと。昔、黄河の流れが不安定で、河の東にあった土地が、時間が経つと今度は川の西側になっていたという故事から来ているという。
故事成語、やっぱりいいなあ。
人間は古今東西、似たようなことばかり繰り返してきたんだろう。どこの国の故事成語にも似たようなものがあるが、特に中国語の「成語chéngyǔ」は実に示唆に富んだ素晴らしいものが多い。
今回もこの言葉に触れ、気持ちがふんわり軽くなった気がしたし、自分もこの後チャンスや運勢が回ってきても、その後どうなるかわからない。謙虚な思いにもさせられる。
それにして、「30年」か・・・ちょっと長すぎるなあ。意地悪な奴らに天罰が降ることはあっても、確かにものすごい時間がかかるなあとずっと思っていた。30年、は勘弁してほしい、と思っていたら、「十年河東〜」とも表現するらしい。でも、それでも10年は長すぎるよな、と思っていたら、「三年河東〜」とも言うんだって!? 中国の人も、ちょっと長すぎると思って、期間が短いバージョンを作り上げていったのだろうか。
まあ、何年でもいい。絶対越えられない溝や壁があると思っていても、それは「絶対」ではないみたいだ。「三十年河東、三十年河西」。50代の今、この成語を噛み締める。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ 😃