夏休み。そうだ、福島行こう。 ② 「東電廃炉資料館」
夏休み。急な思いつきで、日帰りの駆け足で福島県の「浜通り」へ。10年以上ずっと気になりながら見に行かなかった、あの福島第一原発の周辺はどうなっているのか。全然知らないことが気持ち悪くなり、少しでもよいから近づいて、何か少しでも感じ取ってみたい、という気持ちが湧いたからだった。
(前編もご覧ください↓)
現地滞在わずか数時間というこの弾丸小旅行の目的のひとつにしていたのが、こちらの建物。↓
メルヘンチックな外観からは想像もつかない。「東京電力廃炉資料館」だ。
事故前に原発のPRと地元との交流のために建てられた建物を改装したもので、福島第一原発の現状と廃炉に向けての工程を紹介している施設だ。
自分自身、あまりに原発、そして廃炉のことを知らないし、何より東京電力がどう市民に説明しようとしているのかを知りたくて、やってきた。
中では、定時に何人かまとめて案内してくれる。まずは待合室でその時を待ったが、そこには、自然界のあらゆるところにいかに放射線が存在しているのかを学ぶコーナーが。自らα線やβ線の測定器を石などに近づけることができ、測定器はピーピーピーピー音を出しながら、針が振れる。自然界での放射線の存在を体感してもらおうというものだ。
そして、福島県内の空間線量率は世界の主要都市と比べてもほぼ同水準だという説明が掲げられている。
まずは、放射能を必要以上に恐れてほしくない、というのが東京電力の意図だろうか。
さて、時間になり、係の方について館内に入っていく。
最初に、シアターに入り、映画を見る。
なぜか、ここは撮影禁止だという。
映画が始まる。事故当時の現場のリアルな再現に続いて、出てくるのが、
反省の言葉。ひたすら反省の言葉。
「これは天災ではない」「皆様に大変なご迷惑をおかけしてしまった」「我々には驕りがあった」「過信があった」
・・・これ以上の反省の言葉はないのではないかというぐらい、自らの企業体質まで自己批判をし、とにかく猛省している、と強調するのであった。
この反省は、その後の展示でも繰り返される。
「安全意識」「技術力」「対話力」の問題が、「負の連鎖」を起こしていた、というのだ。
続いて、原発の構造を学ぶ。
係の人が、燃料棒の実物を見せてくれる。
原子炉の圧力容器、格納容器の隔壁の厚さを体感。
そして、今、世界中で注目されている、汚染水の処理、そして海洋放出について説明するコーナーが。
1日に130㎥と、日々増え続ける汚染水をどうするかという喫緊の課題。
ここでは、「ALPS処理水」という言葉が出てくる。
えっ!? ALPS (アルプス)?
まるで、「アルプスの少女ハイジ」のような、「南アルプス天然水」のような、清らかなミネラルウォーターを連想させるネーミングだが、これは、英語のAdvanced Liquid Processing Systemの略だという。このシステムなどを使って処理した水のことを「ALPS処理水」と呼んでいる。
しかし、このシステムの日本語は「多核種除去設備」とのこと。
あれ?英語名とはずいぶん違う。ALPSという綺麗な水をイメージする音の響きになるように、英語名ありきだったのかなと想像してしまったが、認識は間違っているだろうか。
そしてALPS処理すると、セシウムとストロンチウムなど被ばくへの影響が大きい放射性物質の多くを取り除くことができる。ただ、どうしてもトリチウムなどは残るものの、その濃度は国際基準よりもさらに厳しい日本の国内基準以下に薄められる。そして、トリチウムが放出するベータ線は非常に弱く紙一枚で遮ることができる程度だという。
つまり、「トリチウムは残るものの十分薄められていて海洋放出は問題ない」という事が言いたいようだ。さらに、「トリチウムは世界中の原子力施設から放出されている」とも強調されていた。
実はこの処理水をめぐっては、過去に仕事でこの問題のニュースを英訳をする際に、政府から絶対に間違えないようにと、相当強く注意されたことがあった。それは、ALPS処理された水を、「絶対に”polluted water(汚染水)”と言うな、"treated water(処理水)”と言え」ということだった。背景には、処理水の海洋放出をめぐっては、反対している周辺国もあり、問題が政治化していたことがあるようだ。
展示は、まだまだ続く。
被災した1号〜4号機の状況が説明される。
3、4号機は燃料の取り出しは終わり、共用プールに搬入したという。
最大の難関は、燃料と構造物が溶け落ちて固まった「燃料デブリ」の処理だ。
高い放射線量率の中で極めて困難で世界にも例がない作業だという。
まずは2号機から今年取り出し始める。
しかし、なんと、まずは「耳かき一杯程度」の燃料デブリを取り出すのが精一杯とのことだった。それにしても、「耳かき一杯」とは・・・
人が入るのが困難な場所で活躍するロボットも各種展示されていた。
係の人が指す、「3550」のカウンター。これはこの日、廃炉作業に従事している人数だそうだ。
まるで現場にいるように感じることができる、シアター式の展示。
水素爆発を起こした原子炉を上空から見られる。
日々増え続け、敷地に溢れかえる、処理水のタンク。
福島第一の敷地の96%では、もう防護服なしで作業ができるまで線量が下がったという。働く人たちも紹介されている。
廃炉作業者たちの食堂。
当記事では、原発の是非の政治的な議論はしないつもりで、廃炉資料館の内容を伝えるために、書いているが・・・
廃炉作業の完了は、冷温停止状態を達成した2011年末から、30〜40年後だという。つまり、もう10年以上経ってしまっているわけだから、あと20〜30年後ということだ。
しかし、完了目標に10年も幅があり、さらに燃料デブリは、まだ「耳かき一杯分」を取れるかどうかという段階であることを考えると、目標達成への不安を感じていない者は、廃炉作業の当事者を含めて誰もいないことだろう。そして、その目標の時が来ても、反省の言葉を述べた幹部たちの何人がそれを見届けられるだろうか。
しかし、とにもかくにも進めていかねばならない、きょうは、廃炉作業員の間でコロナ感染が広がっているというニュースも聞いた。気の遠くなる話だが、とにもかくにも進まねばどうしようもない。
原子力への知識がないので全く分析できないが、これほどまでに人類の制御が及ばない物質を扱わないと文明を維持していけない世界の危うさ。ウクライナの戦争でも原発が作戦に利用されたりしている。原発に対するこれまでの自分の意識はあまりに低すぎた気がしてきた。
廃炉資料館を見終えて、私は何か未だに消化しきれない違和感と疲れが残っていた。この直前に見た、あの青く爽快な太平洋に臨む美しい土地。それがこの場所の本来の姿のはず。それが、11年前に起きた事故で、こんなことに。
きょうも清々しい青空で、美しい風景と、今見た深刻なものとのギャップが、どうしても消化できないのだった。
・・・で、実は、この廃炉資料館の記事を後編として、福島行の記事を終えるつもりだったのだが、この後、近くを車で走ってみて、また唖然とする風景に出くわすことになった。
よって、この記事で終わらず、次は「夏休み。そうだ、福島行こう。③」としてまた投稿することにします。またぜひお読みいただければ幸いです。
ありがとうございました。
AJ
===============
次回、最終回もよろしくお願いします。↓