夏休み。そうだ、福島行こう。 ③ 全町避難「人が消えた町」は、今
「この11年間、福島第一原発の近くに一度も行こうとしなかった」ということが心のどこかにずっと重くのしかかっていた。事故直後は、もうこの国がなくなってしまうのではないかとまで想像して、毎日怯えながら福島第一の状況を注目していたのに。処理水が増え続ける状況のニュースなどのたびに「これは大変だ」と思うのだけれど、どこか”自分事”ではなかったのではないか。いや、あえて考えないようにしていたのかもしれない。
そして、そんなモヤモヤが限界に達したのか。この夏、日帰り、弾丸旅行でもいいから、やっぱり近くを見てみたいと思い立ち、福島第一の近くに向かった。
生まれて初めて行く福島「浜通り」から見る太平洋は、青く、広く、美しかった。
目的地の一つだった「東京電力廃炉資料館」で、廃炉について学んだ。
気が遠くなるような廃炉の作業の前途を考え、呆然としてしまう。
そして、東電廃炉資料館を出て、国道6号をさらに北上してみることに。
今いるのは富岡町、その北は原発がある大熊町と双葉町(原発は町境にまたがっている)、浪江町、と続いていく。
実は私は全く無知で、福島第一原発附近は国道は通行止めだと思っていた。
しかし廃炉資料館で聞くと、ずっとそのまま北上できるというのだ。
原発は多分見えないと言われたが、まさか通行できると思わなかったので
帰りの電車の時間は迫っているものの、行けるところまで北上してみようと
車を走らせた。
すると・・・道端にある看板が出始める。
「注意 ここは帰還困難区域(高線量区間を含む)」
ついに、来た。
そんな場所だけれども道は続く。
しかし、道路脇を見ると、通行止めの柵が次々と現れ始める。
この国道6号線はそのまま通れるが、附近はまだ線量が高い所があり、道路の脇の地区には入れないのだ。ひたすら走るのみ、だ。
しかし、国道は走れると言っても自動車だけらしい。
バイクや自転車や人はだめ。そして、車でも駐停車禁止。
つまり、体を晒すのは危ないからだめだけど、車で、さっと止まらずに通り過ぎるならいいですよ、ということなのか。それってどういう状態・・・
車は、福島第一原発のある大熊町に入った。
国道沿いに店や住宅が現れ始める。
ああ・・・店は無人で、住宅地は封鎖され、夏草が伸び放題になっている。
車を停めてはいけないというので、車窓から窓を閉めたままスマホのシャッターを押した。
しばらく行くと、左に曲がると大野駅、の標識。
ニュースで、大野駅周辺の一部地域の避難指示が6月末に解除されたと聞いていた。
ここが、その大野駅か。行ってみよう。ハンドルを左に切り、国道6号線から
中に入っていく。
本当に入ってよいのか。しかし、ゲートなどはない。そのまま進む。
しばらく行くと、JR大野駅が現れた。
無人駅らしいが、常磐線全線開通にともなって作られた新しい駅舎だという。
しかし利用している人の姿は見当たらない。実際に開業しているのだから、車を停めて中に入ってみればよかったのだが、この時は入ってはいけないのかと思い、離れたところから見ただけだった。
なぜ、入れないと思ったのか。
まず規制線ばかりで、車を停める場所などなかったこと。
そして、駅前がこんな状態だったからだ。
解除になったと言っても、小さな道はことごとく封鎖され、
建物は荒れ放題で、人は戻って来ていない。
公民館もこんな状態だ。
ここは、以前人口約1万人あまりの大熊町の中心地だった。
昨年12月から始まった”準備宿泊”には、18世帯49人が参加したのみだったという。
人が消えた街。
荒れ果てた家屋や店舗。
私が見た限りでは、人っ子ひとり見当たらず、音がなく、時が止まったかのようだ。
人災の後、11年の歳月で、こうなった・・・
こ、これは・・・
理屈抜きに、単純に、強く、こう感じた。
こんなの・・・”なし” だ!
誰かの故郷を、こんな状態にしては絶対にいけない。人々の人生が集まっていた街を、人災でまるごと無くしてしまうなんて、なし、だ。
原発の是非をめぐる政治的な論争をする前に、
論理で”わかったようなこと”を言う前に、現実的な政策を立てる前に、まず、賛成反対の双方とも、「これは、”なし”。こういう状態には絶対にしてはならない。」という大前提を、そして同じ恐怖感を共有する。議論はそこから始めるべきだと思った。
あらゆる意見の人が、これは見るべきだと強く思った。
皆さんも、機会があれば、ぜひ現地で見て、感じてほしい。
大野地区での衝撃の後、国道6号線に戻り、車をさらに北上させた。
おそらくシャッタースピードの関係なのか、写真ではよくみえないが、放射線量が示された標識が出てきて、緊張は続く。
「中間貯蔵工事情報センター」の看板。
後で調べると、除染で発生した土壌の中間貯蔵について情報提供する施設だというが、残念ながら閉まっていた。
さらに北へ。
すると・・・あれ?
あれは、福島第一ではないか!
あわてて地図で確認すると、確かにそうだ。
国道沿いの、汚染土壌か何かが積まれた向こうに、排気塔や、廃炉作業のためのものか、クレーンが見える。
初めて、見た。
遠くからだけど、見ることができた。
11年間、ニュースの画面だけで、自分で見ることがなかった、
あの福島第一が、今目の前にある。
例によって、駐停車禁止区間のようなので、足早に通り過ぎるしかなかった。
遠くから見ただけだったが、見た。
見たからといって何かができたわけでもなんでもない。
しかしいつも思う。
自分の目で見て感じることは、間違いなく大事なことだと。
ずっと心臓がドキドキしっぱなしの、この国道6号線の北上ドライブ。
そろそろ、Uターンして、いわきに車を戻さねばならない時間が近づいてきた。
戻るか。
いや、あと少し行ってから戻ろう。
なぜなら、この先に浪江町があるから。
単に、有名なご当地グルメ、「浪江やきそば」が食べたいのだ。
緊張する区間を抜けて、車は浪江の道の駅へ。
ここの入り口にも線量表示があり、一瞬ドキッとするも。数値は問題なし。
安心のために置かれてはいるが、やはりこれがあること自体が、放射能のことを忘れさせてくれない。でも、安心して入る。
中も、おしゃれで快適。
さて、お目当ての「浪江焼きそば」
実は、名前が有名なので食したかったのだが、恥ずかしながら、どんな焼きそばかは知らなかったのだ。
後で調べると、浪江焼きそばの定義というものがあるらしく・・・
その1 中華麺の太麺を使う
その2 具材はモヤシと豚肉を基本とする
その3 ソース味であること
・・・だそうだ。
いただく。
ううむ。確かにかなり太いこしのある麺。
そしてもやしと豚肉だけというシンプルさがいい。
地元の人は七味をかけるとのことで、パパッとふる。
がっつり!
そういう表現がぴったりの濃厚な美味さ。
外で作業した後に、仲間とワイワイ食べたくなるような味だった。
浪江町のゆるキャラ「うけどん」に見送られ、帰路に着いた。
ちなみに、この「うけどん」。
お米の妖精で、お餅の体、イクラの髪、そして地元の焼き物の丼に乗っているのだそうだ。
さらば、浜通り!
今度は福島第一を左に見ながら、大野駅への入り口を右に見ながら、
とにかく停まらず走り、いわきへ。
そして、また、あの変なアナウンスを聞きながら、特急電車に揺られる。
弾丸旅行だったけれど、本当に濃厚な数時間だった。
この地の自然に触れ、廃炉を学び、人の消えた街に衝撃を受けた。
そして福島第一を遠くからこの目に焼き付け、最後は浪江焼きそばで締め、だ。
現地の人と話ができなかったことがとても残念だが、
まずは来て、見て、感じることができて、本当によかった。
やっぱり、街から人が消えるなんて、“なし”だ。
あの大野駅前に賑わいが少しずつでも戻ってくることを、心から願う。いつか、この場所本来の魅力を求めて、多くの人が旅で訪れる日が来るように。
きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました!
AJ
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