「お参り」の習慣が「感謝する心」を育てる。
これまでからずっと朝の「お参り」を続けてきた長男。ちょっと休むこともありますが、ボチボチ続けております。そんな長男の様子を見ていて、弟たちもちょくちょく「お参り」に行っています。長男は最近、スポ少で大きな試合がある時とか、陸上記録会がある時など、自分にとって何か大きな挑戦の前になると、
「ちょっと『お参り』行くわ。」
と言って、氏神様とお墓さんに「お参り」に行きたがるようになりました。
彼が一番初めに「朝参り」に行くようになったきっかけは、大きな怪我をしたことでした。バスケットが大好きな長男は、試合中に腰を痛めてすぐ病院へ。診断は「疲労骨折で3ヶ月の安静」でした。
バスケットができなくなったことで、号泣した彼は、
「毎日おとうと一緒に『お参り』に行く。」
と言い出してから怪我が治るまでの半年間、毎朝の「お参り」を続けました。怪我が治ったと診断された時、本当に晴々とした表情で、氏神様とお墓さんにお礼に行った彼の表情を今でも鮮明に覚えています。
「お参り」で得た最強のサポーターが、子どもの心を支える。
この長男の様子を見ていて、お願いをするために「お参り」をスタートさせたことが、今の彼にとっては1つの支えになっていることを感じています。彼は、何か大きなこと(例えば、大切な試合、記録会など)があると「『お参り』に行く。」と言います。
お参りに行った時に、彼が心の中で何を言っているのかは分からないけれど、おそらく「うまくいきますように。」とか「力を貸してください。」とお願いしているんだろうな…と想像しています。1つ間違いないのは、彼自身がちゃんとお願いすれば、ご先祖さまが応援してくださる…と感じているってこと。これまでの「お参り」からも、「お参り」の習慣が子どもたちの「最強のサポーター」になる!ってことを実感しています。
叶ったら「ありがとう」、叶わなければ「次はお願いします。」
最近、さらに感じているのは、「お参り」すればするほど、おそらく彼らの中にご先祖様に対する「感謝の心」が育っているように思うのです。
例えば、お願いしたことが叶えば、応援してくださったことに対して「ありがとうございました。」って気持ちが生まれます。これは、息子たちが大きなことがうまくいった時に「お礼に行きたい。」と言って「お参り」に行きたがる…ってことからもよく分かります。
反対に、もし叶わなければ…と考えてみました。彼にとって「お参り」が習慣になっているので、うまくいかない時もいつもどおり「お参り」に行きます。その様子を見ていると、あくまでも想像ですが、おそらく「今回は応援してもらったけどできませんでした。もう少し頑張るんで、次はまた力を貸してください。」といった感じで、またお願いしていると思うのです。決して「ご先祖さまのパワーが足りなかったからだ!」なんて考えることはなく、叶わなかったことを謙虚な気持ちで受け止めているように思います。
彼がもし「お参り」に行っていなかったら、当たり前ですが、ご先祖様にお願いすることもなく、感謝することもなかっただろうな…と思います。でも、こうやって「お参り」を続けてきたことで、彼の中に「彼を応援してくださる絶対的なサポーター」を味方につけていることを感じています。そして、そのサポーターであるご先祖さまとのやり取りを続けることで、子どもたちの中に「感謝する心」が育っていっているんだろうな…と感じています。
すぐに大きくなっていく息子たち。もう少しかもしれない一緒にお参りに行ける日々を大切にしながら、子どもたちが成長する姿を見守っていきたいと思います。
庵治石細目「松原等石材店」 3代目・森重裕二