お鍋で煮た白菜の芯がおいしく感じたら、大人になったってことなのかな?
こんにちは、アジサシです。
今日の晩御飯は、寄せ鍋でした。
一人暮らしにとって、冬の寄せ鍋は楽なのです。
鍋に寄せ鍋の素と水を入れたら、鶏肉と野菜をツッコめばできるんですから。
ちなみに野菜は、スーパーで“寄せ鍋用野菜”として売ってたものです。
鍋を煮ている間、高校生の時のことを思い出しました。
当時の友人と話したことです。(アジは僕のことです。)
高校生でなんて話をしてるんだって思った方もいらっしゃるでしょうね。
だって、当の本人がそう思ってるんですから(笑)
さて、年月も経ち、成人もして、会社にも入って、社会人となった今、
僕は、大人になったのでしょうか?
正直、大人になったって感覚はないです。
むしろ、今まで何も知らなかったんだなぁ、と感じる方が多いです。
「成長すると、親父の背中は小さくなるけど、その背中は大きかったと感じる」と言いますが、まさに痛感しています。
noteの記事なんかを読んでいると、こんな立派な考えを持っている人がいるんだ、こんな素晴らしい文章を書く人がいるんだ、それに比べると・・・となります。
マンガを読んでいたり、ゲームをしていたりするとき、ふと自分は何をしているんだろう、となります。
そんなこともあり、自分は大人というにはまだまだだな、と思います。
そもそも大人ってなんだろう。
大人になるってどういうことなんだろう。
どんな人が大人なんだろう。
子どもが生まれたら、自然と大人になるって言うけど、ホントかなぁ・・・
なんてことを考えながら、鍋の白菜を食べてました。
くたくたに煮た白菜の芯はおいしかったです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。