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愛していると言ってくれ②
メイが生まれたのは前の東京オリンピックから数年後
どこにでもいる平凡な家の長女として、なんてつもりでいたが、、、
生まれた町の名前は知っているが住んでいた実感はない
3歳でその町を離れ、次に住んだのは千葉県
千葉県の中で数回引越しをし
それから埼玉県
そして群馬県
栃木県
とにかく転々とする子供時代だった
当然、地元と呼べる町もなければ幼馴染みもいない
どの町に住んでも慣れる頃にはまた引越し
「お父さん、転勤が多かったのね」
バカ正直に話すとお決まりの返し
「いいえ、ケンカして会社辞めて、それでです」とは言えないから
「ふふふ」で誤魔化してたけどそれにも嫌気がさした
そう、私の父親はすぐに仕事場でケンカする
そして
「こんな会社辞めてやる」と
「俺はこんなところで収まる人間じゃない」が
ワンセット
そんなこと繰り返してたって、どこにいっても落ち着かないことくらいわからなかったのかと
今は思うけど
子供の頃はそうも言ってられない
一応、「こんなところで収まる人間じゃない」人に頼らないと生きられなかったから
とは言え
転校は辛かった
転校生の身の振り方を
試行錯誤しながら身につけた
子供にはそれなりに適応能力がある
しかし
父親にはそれが欠片もなかった
埼玉県をたったの半年で群馬県に引っ越すことが決まった時
さすがに母親が嫌だと言った
もともと夫婦仲の良くない親だったが
決定的なのはやっぱり群馬県に引越したあとだ
あれをきっかけに
壊れていった
父も母も
家族もみんな