とあるセンチメンタルな深夜。
昔盲目的に好きだった人がいた。
その彼の誕生日の朝、
Facebookの誕生日通知により
久しぶりに思い出した。
報われなかった恋だったが、
しかし私の盲目さはもはや重症だった。
望みがない、
とわかった時点で、
想いを沈静化することができなかった。
いや、いろいろした挙句、
一応諦めてはいたのだと思う。
恋の成就…なんてことは、
早々に諦めていた。
それでも彼を好きで居続けたのは、
あれはなんだったのだろう。
彼への想いを消すことができなかった。
おかげで私は20代の大半、
彼への想いの強さが邪魔をして、
他の男に本気になることはなかった。
誤解のないように言っておくと、
別にその彼以降、
誰も好きにならなかったとかではない。
ただ、20代…もしかしたら30代前半も、
ちょっと気になる男性が現れようものなら、
何かにつけて比較してしまっていたと思う。
彼のおかげで…というか、
彼に盲目的にのめり込んでしまったおかげで、
その後の私の恋愛基準が変わってしまった。
これはちょっと、由々しき事態である。
とはいえ、30代も半ばを過ぎれば
異性への想いの向け方も
20代の頃とは根本的に違うものだ。
けれども、20代の恋愛熱を
1人の男に注いでしまったものだから、
年代での比較というよりも
人物での比較になってしまっているのだ。
やっかいな引き摺り方をしてしまった。
そうは言っても、
最後に会ってから
10年以上は経っただろう。
さほど思い出さなくもなったし、
彼の最近の状況も風の便りで
耳には入ってくるが、
そこまで気にならない。
今の彼に今の私が会ったら
私は何を思うのだろう。
あの頃より少しオトナになった今、
今の彼に会うことができたなら、
昔若かりしころの盲目だった自分のことを、
笑い話として話すことができるのだろうか。
そんなことを、
彼の誕生日当日に
うっかり思ってしまったら、
その翌朝、
彼と再会する夢を見た。
夢の中の彼は、できた男だった。
20才の頃から同年代の友人よりも
達観したところがある男だと思っていたが、
時々垣間見せる若者らしさがあった。
夢の中の彼は、今度は本当にオトナだった。
おそらく実際の彼よりも。
正直、会わなくなってから
彼が夢に登場してきたのは初めてだ。
あの頃の私たちは、
互いに正直になることもできなくて、
言葉を使うことも下手で、
ちゃんとしたコミュニケーションは
取れていなかったと思う。
あの頃は恋の熱に浮かされていた。
恋は若者が陥る最大の妄想だ。
そんな妄想に、私はまんまと引っかかった。
彼のせいではない。
自分の妄想に長いこと留まってしまったのだ。
熱に浮かされ、
子どものように想いをわかって欲しくて、
一度暴走もした。
それ以降、会うことがあっても
どこかよそよそしいまま、
結局会わなくなってしまったが、
夢の中では互いに大人として話が出来た。
私は、夢に一直線な彼が好きだった。
夢を持っている者同士、
もっと話がしたかった。
思いを共有したかった。
今思えば、ただそれだけだ。
それなのに、恋愛という妄想が
私を支配したがために、
本当の思いとは違う思いが絡み合って、
自ら関係性を拗らせてしまった。
話がしたかったのだ。
今朝見た夢の中では、
大人として、余計な感情抜きに、
彼と話ができた。
その時、夢の中でも、
長年絡まり続け解けなかった糸が、
するするっと解けていく感覚がわかった。
無自覚に、20代の頃の傷みが、
何かしらのトラウマになっていた。
そうか、私は本当は、
ずっとあの時の恋…妄想に、
囚われていたのだということに気付いた。
彼の夢を見たことで、
無意識に20年近くもしがみついていたものから
ようやく手を離せたような気がした。
ありがとう。
今も尚、
あなたの幸せは願っています。
Happy Birthday。
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