何のための勉強?を理解して認めるための一歩。漢字編

低学年次女は漢字の勉強が嫌いです。
1年生のころはまだ簡単でよかったのだけれど、そのころも
思った通りに手が動かせない(思ったとおりにかけない)のが嫌で、
ちょっと画数が多い漢字の宿題の日にはテンションが駄々下がりでした。

「こんな難しいの、この四角の中に書けない!!」とよく言っていたものです。号泣されたこともありました。
(完璧主義なうえに感受性が高いので、できないことへの不安が強いと今時点では思っています)
それは塗り絵をしたり、こまかい切り絵をしたりとこまかい手仕事をしたのと成長とともになくなっていきました。

しかし、ほっとしたのもつかのま。

翌年になると、とたんに画数が増えていく漢字たち!
顔とか頭とか2年生が覚えるの?と思えるものがたくさんでてきます。
漢字の学年設定というのは画数も考慮されているけれど、それよりは身近さで設定をされているのかもしれません。

漢字が苦手なお子さんには色々なパターンがあります。
・繰り返し書くのが嫌い(単調な作業)
・覚えるのが苦手(宿題はするけど覚えてないパターン。覚えるけど思いだすのが苦手)
・手が思い通りに動かないのでストレス
・ずっと机に座って取り組むのがストレス
・ディスレクシア

それぞれの状況に応じて対策が変わってくるのだけれど、残念ながら
学校の宿題はそうなっておりません。

ちなみに次女は1年のころは手が思い通りに動かないことがストレスでした。
2年の今は覚えるのが苦手(思いだすのが苦手)です。

なぜ覚えるのが苦手かというと、
彼女の場合は宿題(漢字プリントと書き取り)が完全に作業になっておりました。
点の学び。点も点。そもそも例題文章にすら興味を示さず、
「今は「首」をしてるからここは首よね。」位にしか思っていませんでした。2学期半ばになり気が付いた時の衝撃といったら!


・・・・100回書いても使えるようにならないよね、それ。


目の前で首位と書いているので、
「首位ってどういう意味?」と聞くと、「え、~わかんない♡」と素で言う始末。
先生・・・この勉強のどこに意味があるの?

本当はそれこそ学校で学んできてほしい勉強だと思うけれど、
学校で先生が個別にそれぞれの課題に対応できるかというと難しいのも事実。

正直進まない教育改革を待ってはいられない・・・。

色々試行錯誤した結果、
あまりに手間なものは面倒がってやってくれませんでした。
(長女の時はばっちりはまったので試したけどだめだった・・・)

結果、
・漢字の読み方
・その漢字そのものが持っている意味。
・それぞれの読み方での使い方。
+どうやって思いだすか。
を宿題をしながら一緒に確認しながら進めていくことにしました。

けれど、宿題ならそのスペースを埋めて提出したら〇をもらえたはずのものを、
「意味を調べたり、使い方を学んだり、思いだす練習をする」に変えることを受け入れてもらえるまでは本当に大変でした。

漢字を勉強する目的って何だろう?
を一緒に考えながら少しずつ。

今、次女の中で漢字は「使えることになる」ことがゴールになりつつあります。
読めて意味が分かって、話すときに使える。(そのあとに書ける)
まだまだその感覚は定着していないけれど、
それが必要だと思えるようになりました。

物事には知る、理解する、使えるの3段階があると言ってくれた方がいました。
次女はまだ知ったばかり。でも彼女にとってはきっと大きな一歩。

けれど目的を忘れてただやっている「作業化」している学習をしている
子どもたちは結構多い気がします。

多分先生方は学校でなんのために学ぶか、目当てとして
言ってるんだと思います。

けれど、企業でも旗は常に振り続けないと、その方針や重要視している前提はすたれていきがち。
大人でも数時間の講座ですら旗を見失ってしまうのに、子どもはもっとそうだと思う。
本当に頻繁に「なんのために学ぶのか」という旗を立ててくれる人が必要なんだと私は思います。

そしてその学習の目的やゴール設定の文化が定着するのに何年もかかるのが子供たち。

長女を見ていると、彼女の中にはすでに学びへの文化があります。
長女はもう気になったら勝手に調べるのが当たり前。
ニュースを聞いてて気になったら調べたり、新しい言葉を聞いたら調べるというのが定着しています。どうしてそうなるのかもとても重要視します。

次女は感情重視派なので、かなりの難易度の高いタイプです。
けれどもその分、豊かな感性があって、私にはマネのできない世界が
広がっている気がします。

とりあえず、漢字はボチボチやっていくつもり。
ちなみに漢字以外には日本語編もあります・・。


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