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【完全版】誰でもわかる“個性”の輝かせ方


まずはこれらを見てほしい。


どちらもYoutubeのshortsなので
1分ずつで見終わります。


日本→電車で踊ったら「迷惑系」


バルセロナ→電車で歌ったら「パフォーマンス」


この2つの動画を見て、何を感じるだろうか?


「わかんね」

も正解だと思います!


その方はぜひ👇の目次から

『「こいつの言ってること、わからん」
と思った方へ。」』

というボタンをタップして
続きをお読みいただけると嬉しいです☺️


ここからの

『“迷惑系”という文化』

という所はあえて「まじめ」に書きます。

(いつも真面目に考えて投稿してるけどね!)


ちょっと難しい表現とかも使ったりするから
「わっかんねぇ」と思ったら
ぜひ👆から、ご移動を。



【“迷惑系”という文化】(本記事の要約)

文化が同じ地球なのにも関わらず
捉えられ方が全然違う。

こと、“誰しもが同じ生活を”という
日本のおもしろい風潮。

どんなにお金が無くても、
行政からお金をいただいたり、助け合ったり。

衣食住が確保されやすくなった日本という国。


それが「当たり前」。

“与えられ慣れてる”世代が中心に
SNSで活動している。



そして、社会に出ると
急に“与えられなくなる”。

自力で獲得しなくては
ならなくなる。



例えるなら、親が食事を狩り続け、
天塩(てしお)にかけて
丁寧に育てたはずの子ライオン。

“学校”というコミュニティで
牙の鋭さを比較し、競い続けてるような状態。


そして、成人し、1人で狩りに行く。

上手くいかない。

だって、
狩りをするポテンシャルはあるのに


「その方法を教えてもらってない」から。



マズローの5段階欲求のうち
生理的欲求、安全の欲求が
時代を経て満たされやすくなった。


ゆえに、

社会的欲求(所属と愛の欲求)、

承認欲求が出てくる。


「有意義な活動がしたい」とか、
「自分を見て、認めて欲しい」とか。


ある種、日本人が
「周りの目に敏感な人」
が多いのも、

この欲求を満たしたい人が
多いと言える。


そして、(たまたまでも)
存在を肯定されると、

(「君のダンス、いいね!」とか言われたら)


“個性を発揮したい”
という自己実現欲求が出てくる。



その際に、社会的欲求。

『日本で』認められたい気持ちを
無視することで、


「迷惑系」
「障害持ち」
「社会的弱者」


とレッテルを貼られて生きることになる。



そして、それを自虐的に

『俺って障害者だから、◯◯なんだよね」

と、途端に「仲間」(社会的欲求)を求める。


「おれは周りとは違うんや。」



だが、今日本で生きているなら
日本の「暗黙の了解」は守るほうが
メリットが大きいのは事実。

障害者だから、なんでもOKとは
ならないのが現状である。


それに反抗するのも、もちろん1つの生き方。
でもそれが息苦しい人もいる。

かつて、自分がそうだったように。



なら、これだけは獲得しておけと
過去の自分に伝えたいのは、


・自分が「知らなかった」と感じた知識
・未知なる経験
・周りからの信頼、正直な意見


それらを基にした前提での
「環境選び」
をすること。




そして環境を「作る」側になるなら尚更、
知識、経験、信頼は必要だと感じる。



もう一度、1本目の動画を見てほしい。


アメリカと日本の文化が“違う”と
真の意味で理解しているか、していないか。


ただ、自分を見せるだけでは

それは“魅せていない”。

周りにどう見られるか。
SNSをはじめ、


なにかの活動、
パフォーマンスをするのであれば

その是非を決めるのは


「周りにいる人たち」に他ならない。



だからこそ、
率直な感想を、思った通りに
「客観的な意見」を教えていただきたい。

そうして、高めさせていただきたい。


本当に、毎日SNSで学ばせてもらってる。

この有難い環境の中で、
自分を磨き続け、より高い価値を提供する自分を目指し続けられること。

ただ、感謝。




【「こいつの言ってること、
わからん」と思った方へ。】


正直、上の部分だけで
全部理解できた方は、

マジですごい。
ぜひ教えを乞わせていただきたいです。


とはいえ。
上で伝えたかった事を
私の実体験、当時のリアルな画像を交えて


“クッソわかりやすく”お伝えしていきます。



👆の『“迷惑系”という文化』という文は、
もしこの記事をTwitterやインスタとかで

簡略に伝えるとしたら、を想定して
書いたものです。


そりゃあ、伝わらない人がいるのも当たり前。


でも、「理解できてない」だけで

絶対理解できる。


もし、最後まで読んで
それでも理解できなければ、

ぜひNoteのコメントや、
Twitter、インスタのDM等で
お気軽にご質問いただけると

私の至らなさを知る学びになりますので、

「ぶっちゃけ」で教えてくださると
とんでもなく嬉しい限りです🙏



日本って、おもしろい国


考えれば考えるほど、日本って国は
本当におもしろい。




なにが?


それは、

『(国にとって)すごい人の見分け方』

があること。


どういうこっちゃ?


多くの人が通る道を
想像してみてほしい。


幼稚園から小学校、
中学、高校、家の余裕があれば大学、
そして就活し、就職。

その枠組みの中で
いい成績を取り、いい大学に行って、
大きい会社に入って、
長い年月、働き経験を活かすことで昇進する。


それができる人が
「すごい人」とされてきた文化なわけで。


その「すごい人」の子供が
10代、20代になり、社会に出てきてる。
自分もその1人。

生まれた時点で、
そこそこ良い一軒家、マンションがあって。

食事は望んだら、親が用意してくれる。

服も買ってもらえる。
(自分の場合、もはや選んでもらってた。)


政治も、そんな方向にある。


「誰でも生きやすい世の中を!」
「働きやすい社会を!」


って選挙の看板、なんとなく、見たことある?

(つい先日、大阪市の選挙あって、
それ言ってる人、けっこういた。)


ぶっちゃけ、
「おれ、うつ病かもです、、、」

ってこの世の終わりみたいな顔で
お医者さんに言って、

うつ病って診断されて。


役所行って申請すれば、

生活保護とか、障害年金とか。

一定数お金がもらえて、生活ができる。
(ほんまにありがたいことよ?)


その中に
本当にうつ病になってる人とかもいて。


ぜひこの記事を読んでいただければ
うつ病の辛さを共感していただけるだろうと
自信をもって言える。👇


実際、「生活保護は嫌だなあ」って方も
好きな仕事を探して
アルバイトや副業からでも始められる。


それが「当たり前」だと、
無意識のうちに感じてる人って多い。
(自分がそうだったし、
そもそもそれに気が付かなかった。)


でも、会社で一生働くってそうじゃないやん?

親と同じく「すごい人」って
上司にも褒められるし、
新しいプロジェクトとか任されたりして。

学校で学んだことをうまく使って生きてる。


だけど、その「使い方」がわかんないって時。

ただボーッと学校行って、
ただボーッと仕事に行って。
「すごい人」とは言われない。


「学校って何の意味があるんやろ…」
となんか悟った感じになって。


だけど、結果は残したい。
褒められたい。


でも、どうしたら?


正直、自分も
テストの成績は
同学年120人中100位下位だったから

すっごくわかる。


こんな事も自分できないのか…
自分はダメな人間なんだ…
あの時もっと勉強してれば…

って、自分のこと、嫌いになってくる。


だけど友達にとって
必要な人になりたくて。

自分の“個性”を必死にアピールする。

お笑い系YouTube初めてみたり。
(高2時点で周りにYouTuberは1人もいなかったからね。
 はじめたってだけで話題になる。)


ここだけの限定公開で
自分の黒歴史(笑)を公開しておきます。

「おーp」って名前で活動してました。
今から8年前。やばすぎ。


見てて恥ずかしすぎるから
さっさと次行きますよ!!!(笑)



大学生になって
「大学生アルバイト社畜」とか
「障害持ってても人生変わります」とか。


結局、自虐ネタに走ってた。


そういう理由でSNSを始める人も
ぶっちゃけ多い。

自分も、

・周りがやってたからやり始める

・自分できないこと多くね?

・俺はADHD、HSP(障害持ち)だから

・「普通じゃない生き方」しよう

・『障害あります。ゆえに起業します。』

って流れだった。




なぜ、すすんで「自分を下げる」のか?


うつ病を発症してます。
障害を持ってます。

社会的に見て、
マイナスと思われる要素が大きい。


なのになぜ、それを自分で決めつけて
あえてプロフィールや投稿で
誇示(見せつける)しようとするのか?


それは「共感を得やすい」から。


周りがしてないこと、してる“人”。
自分がしたいこと、してる“人”。
すげー、かっこいい“人”。


そんな人たちが注目される。
いわゆる“逆張りおじさん”がモテる世界だ
と思ってた。


確かに、周りがやっていない、という
『希少性』は宣伝効果になると思う。

だけど、👆の“人”を
“自分”に置き換えてみてほしい。


周りがしてないこと、してる“自分”。
自分がしたいこと、してる“自分”。
すげー、かっこいい“自分”。


人を見て、「羨ましい」と思うのって
比較して自分には無い、と思っているから。


「もっと自分のこと見て見て!」

って思いがどんどん出てきてる。

成人式の日だけは目立つぞぉ、的な。


会社だと、能力無しとされて、
窓際もいいとこ。
クビレベルの場合もある。

(アルバイトを2日でクビになったこともある。笑)


じゃあ。

SNSの発言を
そのまま会社で言ったら
どーなると思う?



「俺、障害持ってるんで
将来起業しようと思うんす!」



たいがい、「あっそ。がんばれ。」
って感じ。


障害をしっかりと、
その特性から苦手なことまで
全てを把握している人は未だ少ない。
(最近は増加傾向にあるけど)


もちろん、
心から応援してくれる人もたまにいる。

「大変だねぇ」って心配してくれる。

だけど
「じゃあ君には特別にこの席をあげよう!」
というような昇進には繋がるだろうか?

(繋がった方は、
その会社めっちゃいい会社だから
独立までガチでお世話になった方がいい!)



社会での「すごい人」になれなかったから
SNSでは「すごい人」になりたい。

そう、見せてた。
そんな自分に、俺は酔ってた。



でもさ。
これ読んでくれてる大半の人が
日本に住んでるわけで。


現状、個人で生きるということは
まだまだ「少数派」なんよね。


それは「事実」であり、
だんだんと変わっていくものなんじゃないかな。



「少数派」で生きるということ

例えば、日本の路上でパフォーマンスして
チップ貰って生活してる人。

ぶっちゃけ、都会の駅前とか
繁華街とか以外で見かけない。


「歌で生活するって大変そう…」
「ダンスで食ってるって、もはや才能やん」
とか、なんか他人事。


むしろ、それを電車内でされたら?


「うぜぇ」
「空気読めねぇのかよ」
「周りの気持ち、考えろよ」


って思ってただろうね。


だって、『電車内では静かにする』
いわば「何もしない」事が
暗黙の了解だから。

それを破ってる人、って認識しちゃう。


でも、その“少数派”になってみてわかる。

今Ajisaiって、NoteとかXとか、
文と画像、動画だけで稼ごうとしてる。


まだ社会的に認知されてなかった頃の

・Youtuber
・ブロガー
・インスタグラマー

みたいなもん。

いわゆるインフルエンサーってやつ。


今でこそ、自信を持って文を書けている。
(精進の最中ではあるものの。)


3年前の話にはなるが、
のべ8,000名のフォロワーさんに
応援していただけていた。
(今はこのアカウント無いけど)

なんだか、すごい人に見える。
(むしろ見えててくれたら、めっちゃ嬉しい)


ただ、ぶっちゃけ、
今思えば死ぬほど恥ずかしい発信もしてた。
(耳フェチです、とか公言して。)

(見るだけでも恥ずかし過ぎる。)
(黒歴史は全てここに埋葬しておこう。)


なんと!
聞いておどろけ!!!

上3枚とも、同じアカウントである。
(ユーザー名とか変えてたけど)


別人かよ。
アカウントの内容が違いすぎる。


でも、当時は
これが、自分を出す、ということだと
本気で思ってた。


さすが、変態紳士。笑




「じゃあ何をすべき?」


それはさておき。

そんな、
“かっこいい自分”だと思い込んでた
過去の自分に言いたいこと。

たった3つ。




①「わかんない」を無視しない



いわば、「なぜ?」をもっと大事にしてほしい。


例えばこんな童謡がある。
「おかあさんといっしょ」で流れてた。

どうして おなかが へるのかな
けんかを すると へるのかな
なかよし してても へるもんな
かあちゃん かあちゃん
おなかと せなかが くっつくぞ

どうして おなかが へるのかな
おやつを たべないと へるのかな
いくら たべても へるもんな
かあちゃん かあちゃん
おなかと せなかが くっつくぞ

童謡『おなかのへるうた』


明るく優しいメロディーに合わせて
食欲に全フォーカスした曲。

そうそう無い。
確かに、いい歌である。


でも、純粋無垢だったこどもの私は
こうも思った。


「結局、なんでおなかへるの?」

答え、書いてないやん。


わかんねぇ。
それよりも。

「ママ~、おなかへった〜」
「はいはい、今日のご飯はハンバーグよ!」
「わーい!!!」


って言って、歌だけ覚えてる。

結局、理由はわからない。



ちなみに、なんでお腹は減るのか。


「それは『血糖不足の状態(低血糖)』で、

血糖とは、私たちが生きていくうえで
必要なエネルギーの1つ。

このエネルギーが少なくなってくると
脳の飢餓中枢が働いて
”お腹が空いた”と感じる。」

これを3歳くらいの子供に、
もっとわかりやすく説明してくれ。

「えねるぎぃ、ってなあに?」

そんな子にこれを伝えてくれ。


そりゃあ、大変な話だ。
と感じる方も多いんじゃないかな。


もちろん、かあちゃんも人間なので
知ってる事も、知らない事もある。


「たくさん動いてるからよ〜」


とか、言ってくれたかも。


ここで自力で調べて
理解できるのであれば、
それに越したことはないんだけど


「周りの言うことが正しい」
と思ってた私は、

「へー」

で終わってた。


自然と
“疑問をそのままにするクセ”
がついちゃう。


そのまま大人になって。

上司がブチ切れる。

「なんでこんなことも分からないんだ!」


いや、こっちが聞きてぇよ。
教えてくれよ。

って言ったら、
もはやPCでぶん殴られるんじゃないか。

なら、言わん方が得か。
今、我慢すれば何とかなる。
家帰って酒飲んで忘れよ。


ってな感じ。


そこをもっと、深掘りしてほしい。


自分には出来ない、と決めつけて
成長を止めないでほしい。


「なぜ、この仕事がうまくいかないのか」
「なぜ、自分は見てもらえないのか」

→「なら、どうやったら見てもらえるのか?」


こたえは簡単。
自分から動けば良い。


いや、昔の自分にとって。

「わかんないをそのままにするクセ」が
付いている人間にとって、


これはマジでムズい。

というより
「どう動けばいいか分からない」。


だからこそ。



②「興味あるけどやった事ないこと」をする

いわゆる「未知との遭遇」。


字づらだけ見たらカッコいいけど
やる事は至ってシンプル。


「この人すげえ!
なんでこんな事出来るんだろ?」


「自分もこれ出来るようになりたい!」


って思ったら、
それをやってみればいい。


最終的に、1番にならなくても、
結果が出なくっても、いい。


その人の考え、気持ちが
“理解”出来るのだから。


ただ、ちょっとだけ見て
「わかった気」にはならないでほしい。

(Ajisaiが今でも起こしがちなミスなので、
声を大にして言いたい。)


“真に理解する”ことと“無視する”
ことはまるで別物である。


正直、初期のころから
自分のSNSのプロフィールや
発信内容には自信があった。


さっきのスクショ以外にも
アルバムさかのぼったら出てくるけど、
初期はこんな感じだった。

うん、なんか明るい人なんやなぁ、
とは思う。


もちろん、
「自分にはこれだ!!!」と
確信できた方はぜひ真似してほしい。


ただ、今の個人的な感想。


この人、良いこと言ってる気はするけど

「なんか、心に刺さらない」。


実際、いいねもリプライも全然来てなかった。
承認欲求、満たされない。


ハッシュタグ(#おは戦、とか)つけて
挨拶言い合う文化があったから

そこに乗っかって「おはようございます!」
みたいなのは来る。


でも、それだけ。
ハッシュタグ外した瞬間
反応はほとんどない。

褒められることは、そうそう無かった。

(ある種、この経験があって
1周回って「伝えたい人に伝えたい」と
思えているので、現状いいね数は全く気にならない。)



んで、承認欲求のカタマリだった自分は
分かんなくなっちゃった。

とにかく、信頼できる人に聞きまくった。


「俺はどーすれば、いいのだろうか。」


そして、最終的にやったこと。



“徹底的にパクった”。



すげえ、この人って
思った人のプロフィール、
発信内容をパクりにパクった。

スクショのアルバムに
「この人のアカウントいいな」
って思った人のプロフィールのスクショが
大量に入ってる。


それ、全部真似した。


もちろん、そのままは著作権的にアウト。

こういうのを
「アイディア泥棒」って言う。


だから、

・構成
・空気感
・顔の表情 などなど。


「それ真似しても怒られないやろ」
ってこと、めっちゃパクった。

良く言えば、自分の中に取り入れた。


その為に、その人の立ち振る舞い、
考え方、言葉遣いを
脳内にインストールする感覚。


それをインストールしながら、
「自分が伝えたいこと」を伝えてた。

2020年5月29日の
アカウントプロフィール。
2020年10月30日。
2020年12月27日。
この間、約半年ちょい。


本当に、だんだん変わっていった。

特に3枚目のプロフィールになってから
フォロワーが伸びる速度は
本当に早かった。


“良いアカウント”に対する考え方も、
初期と比べると全然違う。


ある種、この過程があって、

『文章力あるね!』とか
『いい考えですね!』とか
『素敵なマインドですね✨』とか

周りの方々が素敵な言葉を
かけてくださるようになった。


今でも、脳内の半分くらいは
“人生の師匠”で出来てる。


その師匠が、頭の中で
“変態紳士”の自分に向かって
喝!入れてる。


「あんた、それじゃあモテないよ?」



③周りに「本音」で好きって
言われるようになること

仮にあなたが
「SNSを伸ばしたい」と思っているなら、


「モテる力」は必要だと
今では確信している。


まちがいない、恋愛の「モテる」ね。


「え?
別にマッチングアプリじゃあるまいし。」


って思う方もいると思う。

だけど、考えて欲しい。


「〇〇さん、カッコいい!」
「〇〇さん、カワイイ!」

ってなぜ言われるのか。


そりゃあ心や見た目がカッコいい、カワイイから。
(顔は武器にはなるけど、最終的には
マインドや、ずば抜けた結果が求められる。)


でもさ。
カッコいい人とか
カワイイ人って、羨ましいやん?


てことは、アンチも発生して当たり前。

ネガティブなことも
言われてはじめて、

「注目されてる」ことの証明になるわけ。

(ネガティブな事しか
言われないのはまた別問題だけど)


「なんかこいつうぜぇ」
「何言ってるかわかんない」
「ぶりっ子しやがって」

とか言われたり。

もはや無言でブロックされてるかも。


むしろそういう方々は
ストレートに言ってくださっているので
こちらとしては凄く助かる。

自分「ありがとねぇ。色々言ってくれて。」


ただたまに、
「誰にでも良い顔する人」もいて。

嫌われてフォロー外されたらどうしよう…とか。

要はネガティブな意見を言いたくない人


返信のコメント欄や、周りにいる人が
とにかく「いい事」しか言わない人だけに
なってないだろうか?


もしそうなってるなら、
その人と自分は信頼関係がまだ浅い、
ということの表れなんだと思う。


人に対して「嫌い」と言えるのって
ほんとにお互いの信頼が必要。


「好き」とも言われるし
「嫌い」とも言われる。


嫌よ嫌よ、も好きのうち。


そんな関係にある人って、
めっちゃ大事な存在なんだよね。



じゃあ、当時の自分は?

彼女いない。

告られたこと、2,3回。
(テキトーに生きてたから、
そこが魅力的に映ったのかも。)

告ったことは一度だけ。
(ほぼノリ。そりゃあフラれる。)


大学2年でマルチ商法はじめて
『見られ方は大事だからとにかくやれ!』
って言われて、初めて髪セットした。


高校の時とか、男子トイレで
髪セットしてたサッカー部集団見て


「なんであんなことしてるん?」
「モテようとして、なんかキメェ」

って心から思ってた。
(マジでごめん)

学校のトイレがワックスの臭い。
今は自分もやったりするから
人の事言えない。


そう、Ajisaiは“陰キャ”だったのだ。


ただぶっちゃけ、
性欲はサルだったもので。


大学で「俺、モテますよ」アピールしたり。

週12シフトでアルバイトして
投資運用やって、(クソほど金、溶かした。)
風◯行きまくったり。


そんな状態で
「挫折してきました!」
「引きこもり症候群だけど頑張る!」

って言ってた。


でも人間って、隠してても
そーゆーの、感じ取れる。


周りにも同じ感じの人、
気づいたらたくさん集まってた。


似たような方が集まるから
自然と話題や趣味がかみ合って。


まあ、“陰キャ”の男どもが
下ネタ言って盛り上がってる、って感じ。

そりゃあモテない。

(連絡は取ってないけど
かけがいのない友達だと私は思ってる。)



SNSでも、
自分の自信の無い顔を
なんとなく見せたくなくて。

そっぽ向いてたり、
なんか写真暗かったり。
(読み進めたら、過去の写真も出るので
楽しみにしててほしい。)



でも今は、自分の“ガチ写真”を
撮られることに自信、間違いなくある。

もはや、同一人物なのかと
思うレベルである。


まあ2024年10月現在。

病み病み引きこもり時期に衝動で
髪の毛剃ってもうて、

正直、ただの丸坊主なので
髪生えてきたら再撮影して
アイコンを変えようと思う。


👇その時期の写真はこちらの記事に。



『笑顔の人は幸せを感じやすい』
という統計データもある。


『メラビアンの法則』
人は第一印象、
出会って3秒で決まるとも言われている。


調べれば色んなところで出てくるけど

ある種、「自分を磨く」ことの大切さ
を伝えているのは共通して言える。


顔も内面も、
相手には自分の思てる3倍は
感じ取られてると思った方がいい。



それを意識するだけで。

2020年9月20日。
人の目を見て喋るのが苦手だった。
さらにさかのぼり2018年8月18日。
サークルでイキってオレンジ髪にしてた。


なんか、心のどっかに
闇抱えてそう。(小並感)


そして、この人が、
1年間「自分を磨こうと行動した」。

そしたらこうなった。
👇👇👇

2021年8月2日。
同じくオレンジっぽい茶髪。


雰囲気感、全然ちがう。


「どっちのファンになりたい?」

と聞かれれば、
下と答える人が多そうだ。

(上のファンは、多分どっかに
「自信のない自分」を重ねてるのかな、
と個人的に思う。)



やってたことは、
上の時も、下の時も変わらない。

自分が言いたいこと、言ってただけ。


大学のテニサー(真面目に練習してた)、
大学生でマルチ商法やってた時も。

そして、SNSで自分に向き合うときも。


とにかく楽しかったことは事実。


でも、周りの環境も
応援してくれる人のコメントの内容も

気がついたら、全然変わってた。


それは、


「自分に足りないものに向き合い
アドバイスしてくれる事を
しっかりと受け入れられた」


本当に、ただそれだけの変化が
めちゃくちゃ大きかった。


ぶっちゃけ数カ月前に
うつ病になったとき。

誰とも連絡とりたくなくて
LINEを全部未読無視なんてこともあった。


けど、よくよく周りを
見渡してみると


(気づかない間に)
そこまでで築きあげられた関係を
たどってみると、


SNS上にも、リアルにも
少なくとも1人は


【心から全てをさらけ出せる人】

がいてくれたと感じる。

本当に、ありがたいことであり
自分自身が今後、

あなたにとって、
それほどに大事な存在になりたいと

強く思って、今この文章が
書けていると思う。




【結論】“魅せる”技術、そのための知識、経験


1番上☝️の2本の動画を
思い返してほしい。

忘れたな、と思ったら
ぜひもっかい見てほしい。
(shortsなので、1分ずつ、計2分で終わるからさ。)

確かに、上の動画のダンスは
キレッキレ。

あんなに身体を滑らかに動かせるのは
もはや芸術的に近い。


だけど、日本人は
良くも悪くも「周りを見る能力」が
世界的に見ると高い。


「女子のスカートの中
見ようとしてるんか?」

「あの女子がかわいそう」

「関わらないでおこう」

とか思われかねない。

(shortsの💬コメント見ると、
そんな感じの意見が多い。)


最悪の場合、警察に通報され
チカンとして逮捕される。


逆に、この方が。

もし下の動画みたいな、

スペイン、バルセロナのように
「パフォーマンスが当たり前」
という人、環境に囲まれていたなら。


SNSの反応も
まるで違っていただろうと思う。


多分、批判されたことも、
彼にとっての良い経験ではあると思う。

むしろ、これでめげずに
活動を続けてほしいと私は願っている。
(もちろん場所は考えたうえで)


そこでしっかりと
日本の文化に向き合って、

「世界各地の文化」という知識を手に入れて

スペインでパフォーマンスする経験をして

良い“魅せ方”があると知っていれば。


周りからの声は全く違うものになると
私は思う。



これを、実際に世界一周しなくても。
家に引きこもってたとしても。

SNSの1つから、こんなに学ばせてもらえる。


正直、今行ったことある場所って言えば

・東京出身
(その他周辺関東は行った)
・北海道(札幌、旭川)
・大阪
・神戸
・新潟
・滋賀
・香川
・広島
・沖縄
・アメリカ
・オーストラリア
・グアム

このくらいのもんである。

東京 立川
自分のふるさと。
北海道 旭川駅すぐの公園
「空気がおいしい」って初めて感じれた。
神戸 三宮 北野異人館街
情緒ある風景。
ここ住んでて毎日が楽しかった。


正直、この場所を移動する、という経験も
本当に「自分を磨く」ことに繋がった
断言はできる。


ただ、自分、スペイン、行ったことない。


今、これ書いてるの、夜中の1時。

大阪の西成の家の布団の上で
眠たい目こすりながら、

でも書きたくて書きたくてたまらないから
携帯のメモに打ち込んでる。


この生活をさせてもらえてる事。

日本のシステムでお金が貰えている。
素敵な人と信頼関係を持てている。
読書やSNSから沢山気づかせてもらってる。


そして今、この文を読んでくださっている。

1万字以上あるこの記事のこの部分を
しっかりと読んでくれている

「あなた」という存在が。

本当に、本当に。


有り難い。

これが「ある」という事が幸せである。

本当に、心の底から、



🙏🙏🙏“感謝”🙏🙏🙏




謝辞


やっと、言いたいこと言い切れた。

アルバム見回って、
強調して伝えたい部分とか見直してたら
もう深夜2時を回ってる。

いつも21時とかに寝てるのに。


でも、めっちゃ楽しい。


自分の特技は、

「理解した物事を言葉で伝えること」

そして

「それを理解して噛み砕き、
わかりやすく伝えること」

だと考えてる。



正直なところ、まだ自分の人生という
旅は始まったばかり。

これからこれをもっと磨いていきたい。



ただ、1つだけ。最後にお伝えしておきたい。


この“才能”にも思える特技は
『後天的なもの』であること。


生まれつきのものではない。



父親には、
「(Ajisaiって)自分の思ってること伝えるの、
苦手だと思ってた」

って、ついこないだ言われた。


確かに、コミュ障だったのは
まちがいない。(笑)


生まれてから
周りの目には人一倍敏感である。


幼少期は言いたいこと我慢して、
周りに合わせて生きてきた。



だけど。
多分、“才能”と呼ぶなら
まさにそれ。


「人の言葉や表情等、様々加味して
対応を変えられる」

才能を持っているのかな、と。


いわゆる
HSS型HSPっていう気質を
持っている方って

これが得意な方が多い。


誰にでも、“個性”という名の特技がある。


「自分こんなとこダメだ」


と思うなら、

それに気付けるのがあなたの“個性”だ

と、はっきり言える。


でも、文章能力に関しては
“引き出していただいた能力”


自分のことをすごく大事に考えて
生き生きと過ごせるよう手配してくれて。


そしていま、自信を持てる
言葉の使い方を教えてくれた
お父さん、お母さん。


「人生の師匠」と
お呼びさせていただいている
さばおさんや、


ご迷惑をおかけしまくってるのに
寛容な心で赦し(ゆるし)、
成長スピードが早すぎて追いつけない
とある同い年の超スーパー青年起業家様。


たくさんの“本当の自分”を
発信されている皆さま。


教えを乞うたら、教えてくださる方々。


辛いときに、親身になって
愛を持って話を聞いてくださる方々。


プロフィール、投稿を
参考にさせていただいた
素敵な皆さま。


そして、今。
この文を読んでくださっている
あなたのおかげで、


こうして“Ajisai”、もとい大場康平は
より磨かれていっていると感じます。


ある種、マインドを取り入れ、
日常生活の中で実践しようと心に誓った
あの日々からの努力と感謝の“副産物”です。


もちろん、今まで
何度も目を背けてきました。

いろんなことから
逃げに逃げてきました。


ただ、そうして生きてきた
過去は変わらない。


ですが、そのおかげで、今。

こうして文字に
心を乗せて届けたいと思えており、

しっかりと未来を見て
歩みだすことが出来ています。



本当に、本当に
ありがとうございます🙏



そして、これからも
この身の“精進の過程”を


楽しく、心地よく、
時には痛快に感じながらも

(私はこれを“快哉(かいさい)”に
生きることだと感じてます。)


そのお気持ちをストレートに
ぶつけていただきながら

応援していただけると
非常に嬉しいです。


貴重なお時間、思考を割いて
お読みいただき
ありがとうございます!!!!!!!!!!



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Twitter(現X)やインスタにて
リプライ、共有していただけますと

嬉しすぎて全裸で家の中、踊り回ります。
(変態紳士だったからね。笑)


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