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家族の風景だった「タバコ」は「はみ出しモノ」の象徴になった。【#マンガの話がしたい】

キッチンにはハイライトとウイスキーグラス
どこにでもあるような 家族の風景

ハナレグミ「家族の風景」

そうやってハナレグミの永積タカシが歌ったのは2002年のこと。
タバコだけじゃなくてウイスキーグラスもあることを考えると、多少ヤンチャな家族だったのではないかという気もするが、なんにしても、「どこにでもあるような家族の風景」のなかに「タバコ」があったのは確かだ。

周りでも喫煙している人はめずらしくなかったし、当時はわたしの父親も日に何本もタバコを吸っていた。おかげでわたしはタバコを吸うことになんの魅力も感じることができず、今日に至るまでタバコに縁がないのは数少ないありがたい話だったと言っていい。

喫煙率のグラフでみても、2002年(平成14年)の男性の喫煙率はまだ5割を超えている。やはりそれはありふれた「家族の風景」だったのだ。

(「厚生労働省の最新たばこ情報」から引用)

そんなタバコもいつしか喫煙率を減らし、電子タバコなら……という人も含めて2019年の男性で3割を切ったところらしい(それ以降のデータは見つからず)。まだ3割吸っていると思うと結構高い気もするけれど、吸う人が加速度的に減っているのも間違いない。

そんななか、マンガの世界でもタバコの扱いは大きく変わっている。
広く吸われてきた嗜好品の一種から、明確に「やざくれている」とか「はみ出しもの」の記号になってきているのだ。


たとえば『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』という作品。

やざくれた中年が、仕事終わりに立ちよるスーパーの裏で一服するように。独り身の中年おじさんとタバコという記号が良く似合う。スーパーの裏という人目をはばかるシチュエーションも「はみだしもの」の描写にぴったりだ。

そんな日の当たらない場所に、主人公を誘いこんだのが「田山」と名乗る若い女性。じつはこの人、主人公が一方的に好きなスーパーの店員「山田」さんと同一人物。「雰囲気が違うから気がつかなかった」というお約束的な出会いをへて、仲良く一服するようになり、いろんな話をして本性を隠しながら関係が深まっていくあたりがマンガとしての楽しさにつながっている。
ふたりの間には、令和の時代にタバコを吸う人であるという「はみだしもの」同士の連帯感が確かに存在している

ひと昔前ならタバコを吸う人はマジョリティだったし、喫煙場所なんてあってないようなもの。道を歩きながら喫煙してもなんの問題もなかった。タバコというものがいつしかマイノリティとして押しやられてきたからこそ、ふたりは出会い、年齢の差を乗りこえる奇妙な仲間意識(そしてそれ以上の感情も)をはぐくんだのだ。


おじさんだけでない。
アイドルの間でもタバコは「はみだしもの」の象徴だ。

『やばいアイドルのマネージャーになっちゃった話』は、表向きはキラキラなのに、じつはヘビースモーカーなアイドルと、同じくヘビースモーカーのマネージャーの友情を描いたマンガだ。

世間に、ファンに、そしてメンバーに対しても喫煙者であることをひた隠しにし、喫煙者であるマネージャーだけが唯一の理解者。その背徳感が互いのきずなを強くしていく。マネージャーがもともとアイドル志望だったこともあって、数々の危機をふたりで乗り越えていくビルドゥングスロマンが涙をさそう。

アイドルでヤニカス、という二面性が露骨に描かれているのもまた見ていて楽しい。闇が深いからこそ、キラキラのアイドルを演じる姿は胸をうつし、暗黒面に尻を叩くマネージャーの存在もひきたつ。そんなふたりをつなぐのがタバコだ。

喫煙所で何度か顔をあわせるたびに、少しづつしゃべるようになり、いつしか仲良くなるなんてことは普通の会社でも良くある話。厄介なことにタバコというのはしばらく吸わないと禁断症状がでる人もいる依存性の高い嗜好品。まわりに喫煙者であることを隠している状況も手伝って、余計ふたりのきずなは強くなるのだ。

ファンとの握手会などもあるし、歯も汚くなる。実際にヘビースモーカーのアイドルがやっていけるのかに疑問を感じないわけではない。
しかし、いざタバコというアイテムを持たせたとき、上記したように様々な状況から「はみだしもの」としての強いアイデンティティを持たせることができる。そんな令和における「タバコ」というアイテムの性質を見事に利用しているといっていいだろう。


そして、タバコという記号にはもうひとつ意味合いがある。「変われない自分」だ。

これまでは周りのみんなも吸っていたし、値段もそこまで高くなかった。吸っていることがカッコイイとされる時代もあった。タバコを吸いはじめたときはそんな時代だったけれど、時代はうつり、令和をむかえ、タバコは冷遇されるようになった。タバコを吸える場所も限られ、値段も上がり、まわりで禁煙した人も増えた。

――でも、自分はタバコを手放すことができていない。タバコはそんな「変われない自分」の記号にもなっているのだ。
そんな描きかたをしているのは、ばったん先生の『けむたい姉とずるい妹』という作品。

お母さんのお葬式で、8年ぶりに再会した妹と姉。変われない姉と、ふわふわと軽やかに変容する妹という対比を、タバコというアイテムが助長する。そんなふたりの切っても切れない関係を描いた作品だ。

今作に限らず、ばったん先生の作品は良くタバコが出てくるし、多くは「変われない自分」の象徴として描いているような気がする。20年前なら、ただ「タバコを吸う女性」だったはずだが、流れた歳月は「変われない」という意味を上乗せしたのだ。


マンガにおいて、出てくるものは基本的にすべて「記号」だ。
だからこそ、同じものを描いていても、その意味がかわることはよくある。昨今ではタバコがそんな存在だっただけの話だ。
そして喫煙する人は現在進行形でいまだ数を減らし続けている。まだまだその記号の意味が変わってくる可能性が高いのだろう。

ありふれた家族の風景は、やざくれたマイノリティの象徴になり、そのうち一部の偏屈な金持ちの道楽や、レアアイテムにでもなっていくのかもしれない。タバコを吸っている人も吸っていない人も、いましばらくの間、創作におけるタバコの扱いについて注目していくと、きっと楽しいのではないだろうか。


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