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noteを書くことが『心のつえ』になる
『カラ元気でも元気』
とはよく言う言葉だ。「やる気は、とりあえずやり始めると後から出てくる」というのもごく最近聞いた。要するに人間、思った以上に形にしばられて生きているということであろう。
そして、人によってnoteに対する思いはそれぞれであると思うけれど、最近私自身が思ったのは、noteを書くことが三本目の足……『つえ』のような存在として感じられる瞬間があるということだ。
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その時の自分の精神状態とまったく切り離すことはできないけれど、私は基本的に「暗いものは書きたくない」といつも思っている。
その思いをnoteという媒体を通して、世間様に表明することで、自分の今の状態を確認しなおしているような感覚にとらわれるのだ。
発信することにより、何らかのレスポンスを求めている部分ももちろんある。ただ、それに加えて発信することで、自分の立ち位置を確認している。そうそれは、『転ばぬ先のつえを差し出している』ような気持ちになるのだ。
そして、それが自分に安定をもたらす。
書くことでストレスの発散につながったりすることもあるだろう。加えて、冒頭に上げた「カラ元気でも元気」のような効果もあるんじゃないだろうか。また、一度落ち着いて、自分を整理して、前向きに言語化する。この一連の仕草が、ある種の瞑想のような効果をもたらしてもいるのかもしれない。
仮に、暗い気持ちに寄り添って、暗い話を書く場合でも、自分の気持ちの整理につながるし、やはりどこかしら心の支えになっていると考えてもいいだろう。
自分の中でああでもないこうでもない、と悩んでいるだけでは正解はでない。何でもいいから外に出すことで、自分の位置がわかる。それがどこかしら支えになる。友達に誰かれかまわずグチを吐き散らす感覚と同じ、と言ってもいいのかもしれない。
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だからいよいよnoteを書くことができないときは、自律神経がおかしくなって、まともにつえをつくこともできないとき。ま、単純に忙しくてそれどころじゃないときも良くあるけれど(笑
とにかく、私に関してはそんな感じでnoteは心の安定に資する、『つえ』のようであると感じている。
体力は落ちる一方だし、文明の利器は使ってなんぼ。
今日も私はnoteという『つえ』をつきながら、一歩また一歩と進んでいく。
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