高家神社と土佐ノ与一を訪ねて
今日はちょっと変わった記事でお届けします。
5月末の29日、30日の土日で千葉県の南房総市にある千倉(ちくら)という地域に、一人車で小旅行に行ってきました。
コロナ禍ですので、公共の交通機関は使わず、車で気ままに一人旅です。
この小旅行ですが、実は元々は泊りがけにするつもりはなかったのですが、ちょっとしたことで『高家(たかべ)神社』を知ることがあり、そこから芋づる式にそのすぐそばに土佐ノ与一の眠るお墓がある、ということを知ってしまい、「これはかつお節に関わるものなのにお参りに行かないのは失礼だ!」という気持ちから、思い切ってゆっくり時間を取って行ってみようとなったのです。
さて、この高家神社と土佐ノ与一についてご説明いたします。
<高家神社>
「日本書紀」の第12代景行天皇53年冬10月の条に祭神・磐鹿六雁命について記されていますが、延暦8年(789)に磐鹿六雁命(いわむつかりのみこと)の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文(うじぶみ)」にさらに詳細に記述されています。
景行天皇が皇子日本武尊やまとたけるの東国平定の事績を偲び、安房の浮島の宮に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が、弓の弦つるをとり海に入れた所堅魚(かつお)を釣りあげ、また砂浜を歩いている時、足に触れたものを採ると白蛤しろうむぎ(=はまぐり)がとれました。磐鹿六雁命はこの堅魚と白蛤を膾なますにして差し上げたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ、膳大伴部(かしわでのおおともべ)を賜りました。
この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳かしわでの職を継ぎ、もし世継ぎのないときは、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜りました。
また、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中醤院(ひしおつかさ)で醤油醸造・調味料の神として祀られています。醤には、野菜を発酵させた草醤、穀物を発酵させた穀醤、魚などを発酵させた肉醤があった。今でいう漬物・味噌醤油・塩辛の三種だが、これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁です。
=高家神社のご由緒より引用=
こちらの神社は、日本で唯一料理の神様を祀っている神社でして、食にまつわる仕事をしているものとして、ご挨拶をしておきたいと考えたからです。
また、この日(29日)はちょうど、仲良くしていただいている愛知の某醤油蔵さんで小さなマルシェも開催されていたり、都や政治家の方針でお酒が提供禁止になっていたりで、多くの醸造関係者が大変な状況でもあったため、料理人さん、発酵醸造に携わる方々、食に関わる方々の状況が少しでも改善するように、賑やかになりますようにと、ささやかながら祈りも込めてお願いしてきました。
この神社は本当に小さな神社で、日本でも一人しかいない料理の神様なので、あまり知られていないようです。
古くからある神社ですが、人気も少なく、ゆっくりと詣でることができました。
ここは料理がうまくなりたい、もっと腕を磨きたい、もっと喜ばれる料理を作りたい、そんな志を持たれた方が参拝されることが多いようです。
だから、「縁結び」としてもオススメされていて、好きな人の胃袋を掴むために、料理の腕の上達を願掛けにくる方もいるそうです。
でも、いくら願掛けをしても料理の腕は何もしなくては上がりません。ちゃんと努力する人に、きっと少しお手伝いしてくれるのかもしれませんね。
小さくても、とてもきれいに手入れが行き届いていて、気持ちの良い神社でした。
もし食に携わるお仕事をされている方で興味のある方は、一度詣でてみられてはいかがでしょうか。
そして、土佐ノ与一についてです。
<土佐ノ与一>
土佐与一という人物は、現代において広く普及している鰹節の製法を関東に伝えた功労者です。
本名は善五郎といい、出身は紀州(和歌山)の日高郡印南村です。
元々は印南村でカツオを取ってかつお節(熊野節)を作っていました。
(『土佐』とついていたので高知の人かと思ったら、実は紀州のご出身。)
千七百年代後半の当時、素晴らしい品物と評されていた土佐と熊野のかつお節の製法は、ここだけに伝わる秘伝の技として、外への技術の持ち出しは厳しく禁じられていました。
しかし、どのような事情があったのかはわかりませんが、この与一という人物は30代の頃に村を出て、船で徐々に北上しながら最終的に房州の千倉にたどり着きました。
この時、千倉で網元をしていた渡辺久右エ門という人に迎え入れていただきとても良くしていただいたご恩から、熊野に伝わる秘伝の製法を千倉の方々に伝えました。(この節が江戸で大評判となり、売れに売れたそうです。)
その後に、与一は再び伊豆に南下し、そこでも製法を伝えました。
一度は郷里へ帰ることも検討したようですが、秘伝の製法を漏らしてしまった与一が郷里へ帰ることは叶わず、諦めて千倉に戻り、そのまま骨を埋めたということです。
どのような背景があって国を出奔されたのかはわかりませんが、この土佐ノ与一さんがいなければ関東に美味しいかつお節がこんなに普及はしていなかったとも考えられ、それは今の日本の食文化までの発展は起っていなかったと考えられます。
ありがたいことです(-人-)ナムナム
与一さんのお墓は東仙寺という地元のお寺さんにひっそりとありました。
お隣には、与一さんが身を寄せたという渡辺家のお墓があり、そちらは今でも子孫の方がいらっしゃるようで、どちらのお墓もきちんと丁寧に扱われていることが伺われました。
どちらも、私には縁の深い場所だと感じられ、唐突にいってみたいと思ったのです。
何かえられたものがあったのか?と言われるとわかりませんが、なんとなく心が一つ定まった感覚はありました。
とても良い機会に恵まれたな、と感じています。
房州は初めての訪問でしたが、とても良いところです。
また時間を設けて遊びに行きたいと思います。
ではここから下は、私の食べ道楽と景色の写真をすこし。
このでっかいアジフライ定食は850円。
アジの身の部分だけでも17センチくらいあって肉厚。注文を受けてから揚げているので7~8分待つけど、1枚でお腹いっぱいのボリュームです。
ごはん少なめでもお腹パンパンでした。
房州の海岸と、ホテルからの景色です。
土曜日は風が強くて波が荒れていましたが、日曜日は比較的風も波も穏やかで、とても気持ちの良い一日でした。
おデザをふたつ(笑)
びわソフトとピーナッツシュークリームです。
枇杷は今の時期限定富里の特産品、そして千葉と言えば落花生ということで、落花生を使ったソフトクリームやお菓子がたくさんあって、その中の一つにピーナッツシューがありました。
うん、この辺は、旅ならではの楽しさですね。
そして最後の写真。
お魚の安さに目を剥きました。
これ、写真なのでサイズ感分かり辛いと思いますが、奥のトビウオは30㎝オーバーですし、左の鯖は35㎝くらいはあったかな、しかも丸々と太っていて美味しそう。
もの凄く大きなマアジだって300円しかしないし、なんなら【小アジ】と書かれた札ののったアジは全然小アジじゃないのに30円。
こんなに安くていいのか…と感動してしまいました。
小アジ3尾とメジナ1尾を買って帰りました。
(が、メジナは泥をお腹に結構ため込んでいて、臭みが強かった…失敗…orz)
そんなこんなで、楽しい旅を終えて色々と感じるところがありました。
過去の積み重ねが、今を作り出しているのだと思うと、過去の日本を作ってきた方々に感謝の気持ちが湧いてきます。
日本の食文化や歴史をこれからも伝えていきたいと、改めて考えるきっかけになった良い旅になりました。
車を手に入れたことで、ちょっとずつ行動範囲が広がってきたので、また次は昆布の旅にも出てみたいなと目標を立てました。
皆さんも、興味がありましたら是非一度足を運んでみてくださいね♪