平野啓一郎氏の「本の読み方」から学ぶ仕事のスピードについて思案
王様ランキングというアニメを見始めました。面白い!
ホイットニーです。
平野啓一郎の「本の読み方」という本を読みました。
副題はスロー・リーディングの実践。
内容を平たくいうと
速読なんて信じずに本はゆっくり、一語一語丁寧に考えながら読もうぜ。
というものです。
そしてその事が、本だけでなくあらゆることにも通じる考え方で、久しぶりに良い本に巡り合ったなぁと思えました。
本を読むのは旅と一緒で、旅の時も景色を堪能するでしょうと。
スピーディーに旅をして何が楽しいの?って感じです。
ハッとさせられたのは、以下の文。
多くの情報に触れているからといって、それが一体何なのかを考えさせられます。
仕事にも言えることで、多くの知識を持ったからどうなのか?って感じでグサッと来ます。
僕はこれまで多読派で、物忘れもひどいので読んでもどうせ20%くらいしか覚えていません。あるいは印象のみか。
だからたくさん読んでおけば、20%でも面が広がって、アイデアも生まれやすくなるし未知なことにぶつかった時にも対処できると思っていました。
しかしこの本は、速読も多読も真っ向から否定します。
「もっとゆっくりちゃんと読めよ」と。
僕は忙しい男です。
これは以前から変わらなくて、忙しくないと不安にさえなります。
しかし心のどこかで、ゆっくり自分と向き合いたいとずっと思ってもいて、葛藤に揺れながら忙しい道を選んできました。
その道を選んだことで、十分幸福を感じる生活が出来ているので、疑問にも思っていませんでした。
この本は、そんな考えに一つの疑問を提示します。
「その生き方、浅くないの?」
こんな一節も出てきます。
ドキッとしませんか。
最後の一文に点が多くて、意図的に強調していることがわかります。
それは、
特別な場所も、
相手も必要なく、
普段、
最も疎遠な人、
つまり、
「自分自身」と向き合うための時間である。
そう、僕は僕自身と最も疎遠であるにも関わらず、現状を幸福としてそれ以上考えることもなかったのです。
もしかしたら自分自身と向き合って、今が幸福ではないと知ることになるかも知れまえん。つまり、不幸になるかも知れない。
自分のことを知らないのに、自分が幸せであると言い切ることも出来ないので、体裁だけ整えて満足しているだけと知ることになるかも知れません。
奥へ奥へ読書しよう、というのもこの本のテーマの一つなんですが、自分のことももっと愛そうと言われている気がしました。
読書を仕事に置き換えると、こんな文章も刺激的でした。
なんか、もっとゆっくり生きていいのかなと感じませんか。
実は僕の憧れの生き方の一つに、駄菓子屋のおばちゃんがあります。
駄菓子屋のおばちゃんというのは、象徴的な言い方で、街の電気屋さんでもいいし、農家のおじさんでもいいし、床屋のおじさんでもいい。要するにそのコミュニティにとって必要とされている限り存在できる仕事に憧れるのです。
きっと最初は儲かるだろうと始めた仕事だと思うんですけど、常連が出来てからは職業以上にコミュニケーションの一端を担う存在になっている感じ。
行きつけのスナックとか、食堂のおじさんと仲がいいとか、そのコミュニティの中で歴史を一緒に紡いでいく生き方に憧れるんですよね。
でも現実問題、そのような村は存在が厳しくなってきているし、今の仕事も面白いし大事。
ならば、先を急がず、もっと新しいコミュニティの形を自分で作ったら良いのではないでしょうか。その為には、もっと丁寧に生きた方がいいのではないかなと、この本は気付かせてくれた感じです。
読書と違って仕事には相手があるし、資本主義なので、スピードは僕だけのコントロール下にはありません。
仕事を早くこなす一方で、仕事を創ること自体はゆっくりと丁寧に行った方が良いと解釈しました。
5月に、「弊社うまくいっています!」という文を書きました。
その頃、僕はチームに対して、今よりも丁寧に接していました。それでいてスピードも出ていました。
今、それが上手くできていない感覚があります。どうも僕だけの感覚のようです。
「弊社うまくいっています!」の文の最後に、「勝って兜の緒を締めよ」と記載されているのに、慢心していました。ザマァないっす。
次のステップに行くことを急ぎすぎて、先頭集団が長く伸びてしまっていました。
急がば回れとはよくいったものです。
もっとゆっくり丁寧に仕事を作らなければなりませんね。