ここまでよくやってきたもんだ
色々あったけど、
ここまでよくやってきたもんだ。
それは、
納得できる成果をあげたとか
仕事で大成功したとか
世の中に大きな影響を与えたとか
有名人になったとか
社会から表彰されたとか
そういうことじゃないんだけど。
それどころか実際には、
失敗だらけだったし
後悔したことも腐るほどあるし
嫌になったこともいっぱいあるし
ムカついたこといっぱいあったし
めっちゃ拗ねたこともあったし
逃げたこともいっぱいあったし
出来なかったこともあったし
志半ばで諦めたこともあったし
人のせいにしたこともあったし
許せないこともあったし
ぶん殴ってやりたいと思ったこともあるし
自分で自分が情けなくなることもあったし
自分を責めたこともいっぱいあったし
自分を嫌いになったこともいっぱいあったし
適当に誤魔化したこともあったし
酒に逃げたこともいっぱいあったし
仲間に迷惑かけたこともあったし
思い出したくもない汚点もいっぱいあったし
恥ずかしい思いも沢山したし
嫉妬したこともあったし
納得いかないこともいっぱいあったし
どっちかっていうと、
こういうネガティブな思い出の方が圧倒的に多い。
悔しいとか
悲しいとか
ムカつくとか
そういう、
ネガティブな思い出。
思い出したくもないドロドロした記憶。
そういうものの方が、圧倒的に多い。
「後悔していないか?」
と聞かれたら、
してないはずがないし、
多分、これは死ぬまで変わらない。
人に自慢できる何かがあったわけでもないし、
誰かに誇れるようなことがあったわけでもない。
100点満点で言うと、
せいぜい、55点くらいだし、
「もう一度、この人生を味わいたいか?」
と聞かれたら、秒で断るだろう(笑)
でもね。
それでも一つ、
はっきり言えることがあって。
それでも一つ、
自信をもって言えることがあって。
結果はどうあれ
理由はどうあれ
プロセスはどうあれ
それでも、
ここまでよくやってきたと思う。
失敗だらけで、
後悔だらけで、
もう同じ人生はまっぴらごめんだけど。
でも。
それでも、
ここまでよくやってきたと思う。
大変な中、
ここまでよくやってきてくれたと思う。
他人はどう言おうと、
親がどう言おうと、
上司がどう言おうと、
世の中がどう言おうと。
これだけははっきり言える。
一生懸命やってきた。
自分なりに、精一杯やってきた。
転びながらも、懸命にやってきた。
しんどい中でも、何とかやってきた。
失敗しながら、必死でやってきた。
その時
その状況で
自分なりに無我夢中でやってきた。
みんなも、
同じじゃないのかな。
自分に対する自己評価はともかく、
でも、
ここまでよくやってきたんじゃないかな。
いい学校出れたか、とか
いい会社入れたか、とか
いい家庭築けたか、とか
他の誰かと比べてどう、とか
お金を稼げたか、とか
出世したか、とか
社会的地位が高いか、とか
子どもを立派に育てたか、とか
家を建てたか、とか
何かを残せたか、とか
自慢できる何かがあるか、とか
大きな貢献をしたか、とか
社会の役にたてたか、とか
うまく人付き合いできたか、とか
そういう自己評価はともかく。
大変な中、
よくやってきたんじゃないかな。
だからたまには、言ってやるわけよ。
他の誰でもない、
「自分」宛てに言葉をかけてやるわけよ。
「ああ、よくやってきたなぁ」
「ここまでよく、やってきたなぁ」
「色んなことがあったけど、それでもよくやってきたなぁ」
「大変なこといっぱいあったけど、よくやってきたなぁ」
「沢山失敗もしたけど、そんな中よくやってきたなぁ」
「沢山自分を責めたけど、よくやってきたなぁ」
「ここまでよく、頑張ってきたよなぁ」
「ここまでよく、頑張ってくれたよなぁ」
「自慢できるようなものはないけど、よく頑張ってきたよなぁ」
「せいぜい55点くらいだけど、でもよくやってきたよなぁ」
「何も残せてないけど、それでも頑張ってきたよなぁ」
「誇れるものなんてないけど、よくやってきたなぁ」
「自慢できるものなんてないけど、精一杯やってきたなぁ」
実際に声に出して、
何度も何度も言ってみる。
そうすると、
意外に自分頑張ってきたじゃないか。
意外に自分よくやってきたじゃないか。
意外に自分一生懸命だったじゃあないか。
あの時も、
この時も、
必死でやってきたじゃないか。
そういう記憶が蘇ってくる。
ネガティブばかりだったこれまでのイメージが、
必死に頑張って自分もちゃんといた。
ということが、段々分かってくる。
これは、
自分で自分に言ってやるのであって、
「他人」に求めたらダメなんだ。
自分で自分を認めてやるのであって、
それを、
先生とか
上司とか
親とか
親友とか
パートナーとか
近所のおっさんとか
そういう、
「他人」に求めたらダメなんだ。
親がどうとか、
先生がどうとか、
上司がどうとか、
パートナーがとうとか
社会がどうとか。
そういう
「他の誰か」ではなくて、
結局
「自分」をずっと責めていたのは、
「自分」をずっと認めていなかったのは、
他の誰でもない、
この「わたし」であったということが、
段々分かってくる。
段々みえてくる。
この、
「分かってくる」
「みえてくる」
っていうのが、大事なんだ。
自分を労ってこなかったな。
自分を大切にしてこなかったな。
自分をフォローしてこなかったな。
自分をケアしてこなかったな。
自分の味方になってなかったな。
もしそう気づいたとしたら、
「じゃあこれから、どう生きるか?」
もう、この一点に尽きるわけよ。
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