見出し画像

他人の言葉よりも自分が使う言葉

他人は気になるし、
他人の評価は気になるし、
他人の言葉は気になる。

「気にするな」と言われても、
やっぱり気になるし


ぼくたちは、
いつも「他人」というものを
意識してしまうもの。

程度の差はあれども、
全く気にしないという人は
いないんじゃないかな。

だから、
「気になってしまう自分」は、
もうそのままでいいんじゃないかな。


無理して変えようとしなくてもいいし、
それは、もうそのままでいい。


「気になっている自分」を、
必要以上に気にしなくてもいい。

それよりも、

「他人の目」や
「他人の評価」や
「他人の言葉」ではなく、


「自分がどうあるか?」
こっちの方に意識を向けてみること。


例えば、「言葉」。

これまでに、
何度も何度も体験し、
味わってきたことだけど。

「自分の口」から放たれた言葉は、
回り回って、
結局最後は自分の元に返ってくる。

「ダメな奴だな」と誰かに向かって言えば、

回り回って他の確度から、
「ダメな奴だな」が自分の元に返ってくる。


「素晴らしいですね」と誰かに向かって言えば、

回り回って他の確度から、
「素晴らしいですね」が自分の元に返ってくる。


他人の言葉が気になるのは仕方ない。


気になるものは気になるし、
それはそのままでもいいと思うんだ。

そのうえで、
自分の意識を向ける先を、
少しだけ変えてみればいいと思うんだ。

「他人が言う言葉」
「他人が使う言葉」


それよりも、

「自分がどういう言葉を使うのか?」


ここに拘るといいと思うんだ。

自分の口から、
「ダメな奴だな」という

否定的な言葉
誰かを裁く言葉
ネガティブな言葉

それが出てくると、
言われた方よりも

言った方が、どんどん苦しくなる。


勿論、
言われた方も嫌な気分にはなるけど、


実は、
言った方が、どんどんキツくなっていく。


だって、
誰かをつかまえて「ダメな奴」と言った

ということは、
今度は「自分」が、
いつ「ダメな奴」になるかも分からない。

そういう恐怖と自分は同居することになるから。

「お前、こんなことも出来ないのか」と、
誰かを罵ったとすると。


そうすると、
言われた方はそりゃあ悲しいし、

嫌な気分になるし、
イライラもするでしょう。


でもね、
今後、本当に苦しくなるのは
「言った方」なのよ。

だって、
今度はいつ自分が「出来ない奴」になるか
分からないからね。

あれだけ他人に偉そうに言っておきながら、
あれだけ他人を罵っておきながら、

まさか自分が「出来ない奴になる」なんて、
プライドが許さないでしょう。


そんなこと、
自分で受け入れられないでしょう。


恥ずかしくて、
誰にも合わす顔がないでしょう。

好きとか嫌いとか

自分に合うとか合わないとか

好みとか好みじゃないとか


そういう自分の「価値観」は、
別にそのままでいいわけよ。


それを隠したり、
嘘ついたり、
無理やり誰かに合わせたり、

そんなことはしなくていいわけよ。


でもそうではなくて、

自分と違うという理由で、
自分は出来るけど出来ないという理由で、
自分とは好みが合わないという理由で、


相手を裁いたり
相手をジャッジしたり
相手を否定したり
相手を批判したり


そういうことは、
やめたほうがいいだろうね。


そういう言葉は、
使わない方がいいだろうね。


(そんなこと言いながら、ぼくは未だにやってしまうけどw)

他の誰かが自分を苦しめる

勿論そういうこともあると思うけど。

最後に自分を苦しめるのは、
自分であり、
自分が他人にとる態度であり、
自分が他人に使う言葉だったりする。

「自分の口」から放たれた言葉は、
回り回って、
結局最後は自分の元に返ってくる。


その言葉とともに、
自分はずっと生きることになる。





★☆Ajiのメディア☆★
【メルマガ】
https://ajii.jp/p/r/7Z9AKpQV

【Twitter】
https://twitter.com/ajikinggg

【note】
https://note.com/ajikinggg


ぼくの記事を読んで頂きありがとうございます。頂いたサポートを励みに、これからもどんどん発信していきます。今後ともよろしくお願いします。