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「幸せ」に条件をつける

人は、
自分と周りの人を比べる。


比べて、
自分が「どの位置にいるか?」を
ずっと気にしている。

自分より大変そうな人をみると、

「ああやって頑張っている人もいるんだから、
自分も文句ばっかり言ってられないな」

と思う。

一方で、
自分より恵まれた人をみると

「なんであの人ばっかり」

と不満がでる。

ということは、
自分の幸せや満足というものは、

「今の自分の状態」ではなく、

「今自分のまわりにどういう人がいるか」
「今自分は全体のどの位置にいるか」

で決めていることになる。

例えば、

自分がみかんを5個もっていて、
お隣のAさんはみかんを3個持っている。


そうすると、

「ああそうか、Aさんは3個しか持ってないのか
自分は恵まれているだな
もっと感謝して生きないとな」

とこうなる。

ところが、
そのお隣のBさんはみかんを10個も持っている。

そのうえに、
メロンを5個とぶどうも20個持っているではないか。

そうすると今度は、

「一体なんて不公平な世の中なんだ
自分だってこんなに頑張っているのに

こんなにつらい思いをしているのに
どうしてあの人ばっかり」

とこうなる。


ついさっきまで、
「自分は恵まれている」と思ってたのに。


ついさっきまで、
「感謝して生きないとな」と思ってたのに。

人は幸せに対して条件をつける。


「みかんがあと5個手に入ったら」幸せになれるはず

「メロンがあと5個手に入ったら」満足するはず

「ぶどうがあと20個手に入ったら」感謝できるはず


そうやっていつも、

「あれがあったら」
「これがなかったら」

と幸せに条件をつける。

条件をつけるとどうなるか。

「条件が満たされたら幸せ」
という前提で生きているわけだから、

条件が満たされると、
また新たな条件が出てくる。


みかんを手に入れると、
今度はメロンが欲しくなるし、


メロンを手に入れると、
今度はぶどうが欲しくなる。

みかんも、
メロンも、
ぶどうも手に入れると、

今度はもっともっと数を増やしたくなる。

そうやって、

どんどん
どんどん

新しい条件が出てくる。

そして今度は、
その条件が崩れることが気になりだす。

手に入れた、

みかんや
メロンや
ぶどうがいつなくなるか。

減ってしまわないか。


もっと沢山の、

みかんや
メロンや
ぶどうを持っている人はいないか。

そればかりが気になりだす。


そして、

「今」ある
みかんや
メロンや
ぶどうといった

「今手の内にある恵み」に気づかず
幸せに気づかず

時はどんどん過ぎていく。

そしてぼそっと呟くでしょう。

「ああなったら、幸せになれるんだ」

「これがなくなったら、幸せになれるんだ」

人は、
自分と周りの人を比べる。


比べて、
自分が「どの位置にいるか?」を
ずっと気にしている。

自分より大変そうな人をみると、

「ああやって頑張っている人もいるんだから、
自分も文句ばっかり言ってられないな」

と思う。

一方で、
自分より恵まれた人をみると

「なんであの人ばっかり」

と不満がでる。

「ああなったら幸せになれる」

「これが満たされたら幸せになれる」

「これがなくなったら幸せになれる」

そうやって
いつも「幸せ」に条件をつける。


「幸せ」に行くために、
条件が必要だと考える。


こうやって、
幸せは、いつも自分の心が決めている。





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