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【重要】誰かのせいでこうなった

「誰かのせいでこうなった」

そうやって、
今の自分の状態に対する不満を

誰かのせいにしている時はある意味楽だ。

誰かのせいにして生きるのはある意味楽だ。


だって、

自分は被害者ポジションを
ずっとキープできるわけで。

被害者ポジションに居座って、
誰かをずっと責めていればいいわけで。


「今自分が不幸なのは○○のせいなんだ。

○○さえなければ幸せになっていたはずだ」


そうやって、

本当はあるかどうかも分からない、
「可能性」の中でずっと生きれるわけで。


だから、
誰かのせいにして生きるのはある意味楽なんだ。

楽だから、
その「誰か」がいなくなると、自分が一番困るわけ。

自分の不幸や自分の不満を、
ぶつけれる原因にしている「誰か」がいなくなると、

他でもない、「自分」が一番困るわけ。


だってそうでしょう?

考えてもごらんなさい。


ずっと「○○のせいだ」と、
他の誰かのせいにして生きてきた中で、

その原因であるはずの「誰か」が取り除かれたとして、

それでもし、
「幸せ」になれなかったとしたら。

それでもし、
望んでいた「幸せ」が手に入らなかったとしたら。

原因であるはずの「誰か」がいなくなったのに、

相変わらず毎日がつまらなくて、

相変わらず毎日が退屈で、

相変わらず毎日が不幸だったら。


そんなの耐えられないでしょう?

そんな現実受け入れることはできないでしょう?


ずっと○○のせいだ、

ずっとアレのせいだ、

そうやって、

ずっと「誰かのせい」にして生きてきたのに、

実はそれは関係なくて、


実は、

毎日がつまらなくて、

毎日が退屈で、

毎日が不幸なのは、


その原因は、
「自分の内側」にあった。


そんなこと、
とても耐えられないでしょう。


そんなこと、
受け入れる勇気なんて持ってないでしょう。


だから、必要なんですよ。

自分が満たされない言い訳に使える「他の誰か」が、

どうしても必要なんですよ。

「誰かのせいでこうなった」


そうやって、
今の自分の状態に対する不満を

誰かのせいにするのはある意味楽だ。

誰かのせいにして生きるのはある意味楽だ。


だから他ならぬ自分が、

その「誰か」を必要としているのだ。

その「誰か」に依存しているのだ。

その「誰か」がいてくれるから、

自分はずっと、「可能性の中」に生きれる。


可能性の中に生きていれば、
自分と向き合うことから逃げれる。


そう、
本当は、自分と向き合うことが怖いのだ。


その怖さから逃げるために、
「他の誰か」が必要だったのだ。





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